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河伯ミイラ

佐賀県

【探索日】2008年1月

約50年前、松浦一酒造母屋の屋根替え時に、大工の棟梁が
丁寧に紐でくくられたボロボロで埃だらけの箱を発見しました。
蓋を開けると、不思議な形をしたミイラがでてきました。
箱には“河伯”という文字が書かれてあります。
当主はいろいろ調べましたが、箱の文字が“カッパ”を意味する
という事以外手がかりが見つかりません。これが祖先から伝わる
言い伝えのものに違いない。そして河伯さまがこの蔵を守ってくださる
と、神棚を作り水神様としてお祀りするようになりました。
~松浦一酒造説明書から抜粋~


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住宅地にある松浦一酒造を訪れました。
一際高いレンガ造りの煙突が目印です。





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蔵の玄関前に大きなカッパが出迎えてくれます。





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こちらではお酌をしてくれるカッパ。





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蔵の中にはお酒の販売・試飲はもちろん、
農機具や酒造の道具・歴史が展示されています。





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そして一番奥の場所に安置された“河伯”





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ガラスケースを一目拝見して・・・





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切なそうな表情に思わず涙が溢れそうになりました。





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周りに展示されているカッパの収蔵品を拝見して





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松浦一酒造をあとにしました。


創業290年 松浦一酒造さま公式サイト
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http://www.matsuuraichi.com/
酒蔵見学は自由にでき、事前に予約しますと
蔵を案内してくれるそうです。
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淡嶋神社

和歌山県

【参拝日】2009年2月

―御祭神―
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命[神功皇后](おきながたらしひめのみこと)

~淡嶋神社の云われ~
その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に遭いました。
沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると「船の苫(とま)を海に投げ、
その流れのままに船を進めよ」と、お告げがありその通りに船を進めると、
ひとつの島にたどり着く事が出来ました。その島が友ヶ島です。
島には少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)が
祭られていて皇后さまは助けてくれた御礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物を
お供えになりました。その後、何年か経ち神功皇后の孫にあたる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、
いきさつをお聞きになりました。そこで、島では何かとご不自由であろうと、
お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが加太淡嶋神社の起こりとされています。


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早朝の近所のおばさま達が掃除をしている時間にお伺いしました。
朝の神社の空気って凛として好きなんです。。






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お雛様の立て看板が用意された境内を歩いて行くと
本殿の両脇に人形達が見えてきます。
この淡嶋神社は人形を供養していただける神社でもあります。





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日本人形や置物、羽子板も収められています。






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みな悲しそうな表情・・・





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西洋風の陶器の動物たちが大人しくオリに入ってます。





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日本人形は今にも舞いを舞いそうです。





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奥の院に続く道の両脇にもびっしりと人形達。





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素敵なカップルに出会いました。





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やはり管理人はタヌキが気になります。





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いろんな色の招き猫も右や左の腕で手招きしてます。





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こんなに同じ人形が集められるのですね。





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勇ましい武士の人形も列をなしてます。





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異国のお面も境内にありました。





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カエルに守られた奥の院。





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淡嶋神社の御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)は医薬の神様とのことで、
特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかと云われているそうです。

南禅寺(三門・水路閣)

京都市左京区
【探索日】2008年3月
臨済宗南禅寺派大本山の寺院です。本尊は釈迦如来、開基は亀山法皇、
初代住職は無関普門(大明国師)。京都五山の上の別格扱いの寺院で、
最も高い格式を誇っており、皇室の発願になる日本最初の禅寺です。


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歌舞伎の石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」で有名な三門です。
ただし、建築は五右衛門の死後30年以上過ぎた寛永5年(1628年)。




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大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため藤堂高虎が寄進。
藤堂家歴代の位牌や、大坂の陣の戦死者の位牌などが安置されています。




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金具の一つ一つにも歴史を感じます。




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三門の上へ昇ってみます。かなり急勾配の階段。




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絶景です。。そして磨き抜かれた床板・・・




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広大な境内に広がる景色。




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本堂には時間の都合上寄れませんでした。




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きれいに掃き清められた庭園に分厚い苔の絨毯。




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三門の奥に位置する場所に建つレンガ造り。
琵琶湖疎水の水路閣です。




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疏水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17メートル、幅4.06メートル、
水路幅2.42メートル、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する
景観の一つ。毎秒2トンの水が流れています。明治18年着工、完成が23年に完成。
当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上極めて貴重なもので、
昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として
京都市指定史跡に指定されました。 〜案内看板より抜粋〜




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建設時は近隣との紆余曲折があったようですが・・・
今では京都の風景に溶込んでいます。




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見事な曲線です。




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大きさと優美さに圧倒されてしまいました。




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橋脚のつながりを定番のアングルから。。




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いつまでも見飽きない光景でした。

全興寺・地獄堂

大阪府大阪市平野区
【探索日】2003年6月

案内人:夜叉烏(シチズン)様

聖徳太子によって建てられたと伝えられる
平野の町の発祥の地と言われているお寺です。
‘あなたはどこへ行くか 極楽度・地獄度チェック’は試してみる価値あり!
堂内正面には閻魔大王様が鎮座され、恐ろしい姿の脱衣婆と、
マッチョな鬼と裁判官が待ち構えております。
庭には地獄の釜の音が聞こえる石の穴や
「ほとけのくに」と呼ばれる冥想場所、
駄菓子屋さん博物館もあり。




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〜看板より〜
お寺からのおねがい!
この地獄堂は、子供たちに「悪いことをしないこと」と
「自分のいのちを大切にすること」を教えるために開いたものです。
お父さん、お母さん、むやみに子供に恐怖心を与えて言うことを
聞かせるための材料にしないで下さい。こわいエンマさまの姿は
本来はお地蔵さまのやさしい慈悲の心のあらわれなのです。
この機会に子供たちと「いのちの大切さ」について
もう一度話しあって下さい。

抗全神社

大阪市平野区
【探索日】2003年6月

案内人:夜叉烏(シチズン)様

この日最後の散策地、抗全神社。
こちらも歴史がある神社です。
ちょうどお祭りの準備中で
境内には大勢人がいらっしゃいました。




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九世紀、平安時代の初め、平野郷の
守護神として第一殿が奉祀されたのが始まりと
云われているそうです。
古来、朝野の崇拝厚く、特に中世、平野郷が
堺と並んで栄えた頃は、社運隆盛を極めた。
大門は鎌倉時代の作で、第ニ・三殿は
大阪市内最古の建造物で重要文化財に指定されている。





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御神木として祀られている大きな木…
苔むしています。樹齢はどのくらいなのでしょう?





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鎌倉時代の作の大門。




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さらに立派な社、参拝者が続々訪れています。




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境内の一角に結界が…




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小さな祠も祀られています。




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立派ないちょうの木
この御神木は垂乳根公孫樹と云われ
昔から「おちち」の神として信心されてきた木です。
高さ18.1m 幹回り4.8m




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本社。横に長いんですね〜




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参道途中にあった田村社。
時期が時期だけに、やぶ蚊が群がってくる(汗)




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何か後ろで視線を感じると思ったら牛の石像が…

〜熊野牛王宝印の護符〜
牛王宝印の護符は、昔から霊験あらたかな厄除けの
お守りとして、授与されて来ました。
中世以降は起請文の用紙として用いられるようになりました。
護符の裏にお互いに誓いの事柄を書き並べ、
もしこの誓いを破った場合は、神罰を受ける覚悟があるとして、
署名血判したものです。商人達の商売上の約束事や
男女の契りの誓い等様々な事柄に、神様を証人として
契約を交わしたそうです。

夜叉烏(シチズン)様ご案内いただきありがとうございました。
次回はいよいよ関西スポット巡り…

鉄輪ノ井

京都府京都市
【探索日】2003年2月

‘丑ノ刻詣り’をした女が呪詛の満願を果たせぬまま
この井戸で力尽き、それ以来「鉄輪ノ井」と呼ばれるようになった。
「縁切り井戸」とも云われ、井戸水を相手に飲ませると
悪縁が切れるとも伝えられています。




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情報をいただいて訪れた場所に建っていた石碑。
この場所は夕顔町で、源氏物語ゆかりの場所です。




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夕顔町の町並み。




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しばらく歩くと民家の軒先きに「謡曲像示 鐵輪跡」を発見。
門にはしめ縄がされています。
「鉄輪ノ井」は民家の敷地内に位置し、ここの住人のご好意により
解放されていると言うことです。住人の方に挨拶をして中へ。




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〜鉄輪ノ井の由来〜
謠曲「鉄輪」は男に市井の女が、貴船へ‘丑ノ刻詣り’を
して相手の男と、その後妻を祈り殺そうとする話が
骨子になっていますが、この井戸は‘鉄輪の女’が
住んでいたところのものだといい、一説には身投げをした
井戸ともいわれています。このような伝説から
「縁切り井戸」として、井水を汲んで相手に飲ませると
悪縁が切れるなどの俗信がありました。昭和十年には
「霊井」となっています。なお、かつては鉄輪できずかれた
塚があったということです。
謠曲史跡保存会




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こちらが「鉄輪ノ井」心無しか重い空気が…




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鉄の網で覆われた井戸。覗いてみましたが、
奥までは見えませんでした。
現在、井戸水を飲ませる相手がいないため、
お賽銭をあげ、ここを後にしました。

晴明神社

京都府京都市
【探索日】2003年2月

日本を代表する陰陽道の安倍晴明を祀った神社。
一時期のブームは去ったとは言え、今でも参拝する
人達が全国から大勢押し掛けているそうです。




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〜案内看板より〜
天文博士安倍晴明を祀っている。
晴明は朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条の
六朝に仕え、天文学に通じ移りゆく星をみて宮中の
変革・遠国の吉凶を判断したといわれ、一条天皇の
時に天文博士となった。寛弘二年(1005年)なくなったが
その後、一条天皇によって晴明の邸址に当社が創立された。
晴明の邸は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は
中立売の各通りに及ぶ広大なものであったが、これを
社城とした当社も、その後たびたびの戦火によって衰えた
ままであったのを、近年晴明九町組を中心とする崇拝者に
よって復興され、年をおって現在の規模になった。
京都市




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大鳥居をくぐると…なにやら置かれていました。
旧「一条戻橋」
この欄干親柱は、大正十一年から平成七年まで
実際に使用されていたものです。
御祭安倍晴明公ともゆかり深い橋ゆえ、
境内に復元しました。現在の戻橋は、神社から南へ
百米の処に架かっています。




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さらに進むとまた鳥居が立っています。
真新しい塀で囲まれ神社内は木の香りがしました。




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こちらが本殿です。
都の鬼門に当たる位置に建っていたため、
御所を守護する意味があったとされています。




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本家の晴明神社にも「晴明井戸」と呼ばれる井戸があるそうで
塀の隙間から探し出しました。この井戸の水はどんな病気にも
効果があるので「晴明水」と呼ばれているそうです。

鵺池・鵺大明神

京都府京都市
【探索日】2003年2月

平安時代の仁平三年(1153年)『鵺:ぬえ』と呼ばれる
頭が猿、胴が狸、尻尾が蛇、手足が虎の姿をした妖怪が現れ、
都を恐怖に陥れた。朝廷に退治を命じられた源頼政が
丑の刻(午前二時頃)に御殿の上を覆う黒雲に矢を射ると
鵺が空より落ちてきて、見事退治したと伝えられています。




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京都の二条城の北に児童公園の敷地内に、
鵺が落ちた場所があります。馬蹄形をしたここが鵺池。
水は抜かれていて一見砂場の様な感じが…
鵺を射った矢を、源頼政が洗った場所と云われています。




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もう少しわかりやすく撮影。
池はコンクリートで固められていました。




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鵺池の中央に立つ石碑。
文字が刻まれている様でしたが読めません…




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こちらが鵺を祀った社。
人々は退治された鵺を神様として祀ったそうです。




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鵺池の碑。全て漢文で判読できませんが、
伝説が刻まれているとか…
ちなみに鵺の亡骸は、船で流され芦屋に流れ着き、
祟りを恐れた村びとによって、塚に葬られたそうです。

御霊神社(上御霊神社)

京都府京都市
【探索日】2003年2月




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祭神として崇道天皇(早良親王)、吉備真備はじめ
十三柱の神霊を祀る。延暦十三年(794年)平安京
遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神
として、奈良・平安時代初期に不運のうちにこうじた
八柱の神霊を祀ったのが初めとされています。
のち明治天皇の御願により、祭神五柱が増祀された。
平安時代には、御霊信仰(天変地異や疫病流行は怨霊の
たたりであるとする信仰)が盛んであったが、御霊神社は
古来疫病除の霊社として有名とされています。




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境内は「御霊の杜」といい、応仁元年(1467年)正月十八日
畠山政長と義就の合戦が行なわれた‘応仁の大乱’の発端
となったところです。

戻 橋

京都府京都市
【探索日】2003年2月

安倍晴明が十二神将を式神として使役していたが、
妻がその容貌を恐れたため、屋敷の側の戻橋の下に
住まわせたと云われています。




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通りの反対側から…以外と小さく見落としてしまいそうな橋です。




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戻橋の欄干。新しいとの印象を受けました。




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橋のたもとに案内板が設置されています。
〜案内看板より〜
延喜十八年(918年)文章博士・三善清行がなくなったとき、
父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都にはせ帰ってみると
その葬列は丁度この橋の上を通っていた。
浄蔵は柩にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ
不思議にも父清行は一時蘇生して父子が言葉を交わしたという伝説がある。
この伝説は戻橋が死者のよみがえる場と考えられていたことを
物語るものである。
このほか、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱が、深夜この橋の
東詰で容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢い、その片腕を切り落とした
話など、様々な伝説、歴史を持つ場所である。
京都市




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橋の下を覗いてみます。。
式神は今はいらっしゃらない様子でした。
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プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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