弘法寺の涙石

レポ提供:ヴラド魔王様

千葉県市川市


今回は弘法寺の涙石を訪れます。
しかし中央線沿いには伝承・心霊スポットが多いですねー^^;





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秋葉原駅から総武線に乗り市川駅で下車します。





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そのまま北に向かって歩いて行きました。
最近駅前は開発が進みかなり変わって来ました。





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そのまま北に進みますと、手児奈通りへと繋がります。
その名に在る様に此処には「絶世の美女」が居た!
という伝承があります。手児奈とは歌人である山部赤人や
高橋虫麻呂が万葉集でも歌った絶世の美女の事です。
(小野小町より美人だったのかな・・・・??)





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閑静な住宅地を進むと前方に巨大な山が見えて来ます。
ここに涙石がある弘法寺があります。
その山の麓にあるのが手児奈聖堂です。





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参道を進みます。





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万葉集で歌われた「絶世の美女」手児奈様に対する、
熱い男漢達の歌の解説です。いつの時代の男性はね・・・・





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手児奈聖堂の横には池があります。この池にも悲しい伝説が…
昭和の時代に此処で事件がありました。
(凄い美女?)だった女性が沢山の男性から告白され
色恋沙汰で深く悩んでとうとう最悪の決断をしました・・・
そぅ「入水自殺」です。これと同じような事件が遥か
昔、奈良時代にもありました。それが「手児奈様」です。
美貌を聞きつけた熱い男達が大挙して訪れ「求婚」しました。
しかし求婚を求めた男性達が争いを始め、争う男性達の姿を見て、
手児奈様は嘆き悲しみました。その後手児奈様は(当時の市川市は海が近かった)
なんと海に入水自殺してしまったのでした。
さぞかし男性達は悔やんだでしょうね・・・・
その後、近所の弘法寺の住職様である日与上人様が手児奈様の霊を
慰める為に聖堂を建立しました。





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参道を進みますと聖堂に到着します。今でも此処には「恋に悩む女性」や
「安産」願う女性の方が沢山訪れてます。





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さてぇ手児奈聖堂を後にしまして、次は弘法寺を訪問します。
直ぐ近くにあります。山の上に御寺がありますので急峻な石段を登ります。





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徳川幕府との関係がある御寺ですのでとても大きい御寺です。





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境内に行くまでにはこの石段を登って行かなければなりません。
その石段に御目当の「涙石」があります。





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石段の中間地点に不思議な石があります。其れが「涙石」です。
周りの石は乾いて「白い色」してますがこの石だけは「濡れて、黒く」なってます。
この石にはとある悲しい伝承が・・・
遥か江戸時代の事、江戸幕府開祖の天下人徳川家康公を祀る日光東照宮の
建設が始まった頃の事です。運搬していた石が何故か「動かなくなる」事件が
発生しました。その石は元は弘法寺にあった石でありました。この石の運搬の
責任者が鈴木修理長頼という武士でした。その後の幕府の調査で無断で弘法寺の
石を使った事が露呈し、長頼は「切腹」の命を受けました。長頼はこの石の上で
「涙を流しながら」割腹し果てました・・・・長頼が流した涙と血が染込んだ石は
今日なっても常に「湿っている」と伝承されてます。





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涙石の横から撮影しました。周りの石は乾いてるのが分かりますね。





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背後から





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後方から





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拡大して撮影してみました。
んー地下水が染み出ている感じは無いようです・・・触る勇気はありませんでした。
触ってみたい方は「どうぞ」・・・その後命の保障はありませんが・・・・・・・・





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涙石のある石段を登り切りますと山門が見えて来ます。
この山門は文化財に指定さてます。よく見ましょう。





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山門を抜けますと右手に大きな桜の大木があります。樹齢はなんと400年!





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名前は「伏姫桜」と云います。おや此処にも女性の名前が・・・
手児奈様との関係はあるのでしょうか?





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伏姫桜の後方には本堂がありますが・・・弘法寺の山門と鐘楼以外は
明治大火と、太平洋戦争による戦火で大半の建物が焼け落ちてます。
今ある建物群は昭和・平成に建設されたものが多く占めてます。





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鐘楼をスケッチしている人たちです。





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境内の撮影を終えまして市川駅を目指します。
以上で手児奈聖堂・弘法寺の涙石レポートでした。^-^

石神井公園

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都練馬区


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石神井公園に行くには、西武池袋駅から西武池袋線に乗り石神井公園駅で
下車します。南口から商店街を抜けまして石神井公園通りに出ます。





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しばらく通りを歩きますと、前方に石神井池が見えてきます。
細長い池沿いを歩いて行きます。歩道は整備されてますが、
転落防止用の柵はかなり低いですので、あまり池沿いは歩かないほうが
良いでしょう。落ちると危険です。





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石神井池沿いを歩く事10分位でやっと公園の入口に到着します。
国道444号(井草通)があります、常に交通量がありますので横断には注意です。





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入口から三宝寺池がありますので木橋を渡ります。
天然記念物に指定されてます沼沢植物群が茂っている浮島。
貴重な植物が見れますからよく見ましょう。





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浮島を通過しますと、左手の対岸はうっそうとした森が見えて来ます。
この森の中に石神井城跡があります。





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石神井城は東京23区の北部一帯を支配していた豊島氏の居城でした。
そして豊島氏最後の当主が豊島秦経。此処で最後の戦いを迎えました。





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文明9年(1499年)23区南部を支配し、江戸城を拠点にしていた
太田道灌との決戦の地でもありました。武蔵(東京・埼玉)の覇権をめぐる戦い…
豊島氏は激しく抵抗したものの奮戦虚しく城は炎に包まれました。
城主の秦経は、家宝である「黄金の鞍」を愛馬にかけて、秦経は其れに跨り
そのまま三宝寺池に突進しました・・愛馬は池深く沈んでいきました。
その後、父親の後を追って娘の照姫も池に入水自殺しました。
この戦いで豊島氏は滅亡しました。





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城跡解説板です。よく読みましょう。





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石神井城跡は発掘作業は終了して一般に公開されてます。
但し、発掘された土塁や本丸跡は入れませんので注意です。





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これは空掘りとされる場所です。深く掘られてます。
ここは城本丸付近ですから激しい戦闘が繰広げられてました。
おそらくは両方軍の兵士が此処で命を落としました。





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ここでは夜から朝方かけて、幽霊に遭遇するそうです。
噂では…
・背後から「おーい」と声をかけられるが、振り向くと誰も居ない。
・沢山の武士が歩き回る姿が見える。
等の証言が報告されてます。
夜は外灯はありますが…かなり暗いです。やはり木々葉が光を妨げてますので
夜の訪問は危険です。それなりの準備をして訪問しましょう。





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この三宝寺池の池底には豊島秦経が跨った「黄金の鞍」が沈んでます。
古来この鞍を引き上げる試みは行われてきました。見える場所は
大正時代まで分かっていました。池岸に生えていた「照日の松」に登ると
池の底で輝く黄金の鞍が見えてました。池の水を抜く作業も行われました、しかし・・
目印である「照日の松」は枯れてしまい場所も分からなくなりました。
あと池の汚濁が進み、ますます鞍は見えなくなって行ったのでした。
おそらく黄金の鞍は厚い泥の中に封印されてるでしょう。





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この三宝寺池の成立ちにも怖い伝説があります。
康安・貞治年間(1361〜1368年)石神井公園があります
一帯を支配していた豪族練馬将監喜明は、鎌倉勢と度々戦いを交わしていました。
しかし苦戦は続き挙句に追い詰められました。喜明はただ一騎で石神井村の山中に
逃げました。しかし敵軍は直ぐに山を包囲しました。包囲に焦った喜明は、
水のはる田圃に落ちました。泥は喜明の愛馬足を沈めました。
いよいよ進退極まった喜明に次々と矢が放たれました。矢は全身に刺さり
まるで蓑でも着た様な姿に成りました。喜明は憤怒の形相で馬上で自害して果てました。
それから幾多の年を経て、喜明が自害し果てた場所から忽然と水が湧き出し
土砂を押流して三宝寺池が誕生したと伝えられてます。水中には馬の鞍が朽ちもせず
残って池の主となり、時に水上に浮かび出る事もあるという。
この鞍が秦経の黄金の鞍であるとの伝説に繋がったのです。





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池の案内板です。





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この三宝寺池には怪奇な噂や伝説もあります。
・釣り(←現在は禁止されてます)に登った松の大木が動き出した。
・大龍(←大鰻らしい)がいる。
・怪魚がいるらしい…頭が鳥居の様な形をしている。
・池から「ドーン」と怪音がする。
・幽霊と遭遇する。等の証言があります。
なかなか沢山の伝承・心霊現象がこの周囲で体験できそうですね。





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三宝寺池を後にしまして、次は公園の外れにあります2つの塚へ。
秦経の娘の照姫の遺体を葬った塚です。大木が茂る根元に姫塚があります。





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この姫塚にも噂があります。
人が寝静まった深夜に、姫塚の辺りからボーッした人影が現れ、
池の中に消えていくのを見た人も多くいるそうです。
噂ではこの塚の脇にあります大木に登ると、あの黄金の鞍が見えるらしいですが…
真相は藪の中です。





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姫塚の由来が書かれた案内板です。





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姫塚の隣にあるのが殿塚…豊島秦経の供養塔です。
この塚には噂等は報告されてません。





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殿塚解説板です。





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石神井公園は都が管理してますが、24時間出入りは出来ます。
売店等もあります。広大で緑も多く、都会のオアシスです。
照明外灯も沢山ありますが・・・やはり木々が遮ってますので
夜の訪問は控えたほうが良いでしょう。
池周辺の柵は先述べたとおり大変低いですので池に転落しますと・・・
最悪な場合命を落としかねません。通りからも遠いですので
助けも呼べませんので、それなりの覚悟は必要でしょう。

以上石神井公園レポートでした。

長命寺(前編)

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都練馬区

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長命寺に行くには、西武池袋駅から池袋線に乗り
練馬高野台駅で下車します。





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駅から出て笹目通り(国道443号線)を目指します。
いつも激しい交通量です。





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長命寺には笹目通り沿いにあります。私立病院がある対岸に
歩道橋で渡り、歩いて直ぐの所にあります。





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大きい寺院ですので分かります。
綺麗に整備された参道を歩き正門を目指します。





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此処が正門です。





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正門を潜りますと、広大な広場に出ます。
広場には、本殿や中小仏閣が点在してました。
御目当ての「姿見ずの井戸」は、この本堂の斜め後ろにあります。





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井戸は墓地の近くにありました。





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これが「姿見ずの井戸」別名『星の井』と呼ばれている不思議な井戸です。
この井戸は、寿命判断や占いに利用された井戸でした。





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井戸の中を覗き込みますと、遥か下に水面が見えます。
その水面に自分の姿が「はっきり」映っていれば・・問題無いですが・・
もし・・ボンヤリ映ったり、薄く映ったりすると・・
死期が近いとの判断が下されます。そんな井戸です。

続編へ続く

鎌倉魔所(後編)

レポ提供:ヴラド魔王様

神奈川県鶴岡八幡宮周辺


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魔の淵の近くには私立学校があります。
最近の児童誘拐事件で、周辺はかなり厳しい警備になってました。
その私立学校の敷地の中にも「魔所」はあります。
「災難畑」がその学校の敷地にあり、その土地に家を立てると
「必ず災難が起きる」と云われ、長い間住む者はいませんでした。
今では立派に学校が立っています。






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ちなみに鎌倉の「魔所」は以下の場所に存在します。
・鎌倉大蔵の「災難畑」 ・鎌倉大蔵の「魔の淵」
・小町の「天王畑」 ・二階堂亀ヶ淵の「櫛塚」
・植木の「しんどり塚」 ・扇ヶ谷の「人丸塚」
・鎌倉宮の参道にあるらしい「灯明畑」
・鎌倉の各地に7ヶ所点在する「塔ノ辻」
等かなりの「魔所」・・鎌倉に訪れる際は気をつけて!






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さて「災難畑」のある学校の前を通過しますと、
鎌倉幕府の開祖源頼朝公の墓所があります。
今年放映の「大河ドラマ」で人気スポットになりました。

墓所解説版です。読みましょう。






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此れが源頼朝公の墓です、非常に地味な墓所です。
弟義経の活躍により平氏を滅ぼし、さらにその弟を自害へと追いやり
頼朝にとって目障りな敵は処理されました。
1192年に頼朝は征夷大将軍に任命されました。
6年間は頼朝にとっては平穏な日々が続いてました・・・
しかし就任6年目の建久9年、相模川に架かっていた相模小橋が老朽化し
修復工事が完了した報を受け、頼朝は相模川に向かいました。
橋の供養の儀式も終え、鎌倉に戻る途中で頼朝は馬から「落馬」
その落馬が原因で「急死」したとされてます・・
実際は「呪い」で急死した様です。歴史書「保暦間記」によれば・・
・帰途途中八的で滅ぼされた義経や平家の亡霊と遭遇。
・稲村ヶ崎で海から安徳天皇の怨霊と遭遇。
との記述が在ります・・
頼朝の死は老死でなく祟死であるようです。






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ちなみに霊能力者 寺尾玲子氏の霊視によりますと
「頼朝公は未浄化霊です。」と告げられたました。
成仏は永久に無理の様で・・・






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頼朝亡き後の鎌倉は平穏な日は有りませんでした。
・御家人比企氏の乱
・御家人和田一族の乱
・3代目将軍実朝の暗殺
・御家人安達蓁盛が滅ぼされた霜月騒動
・新田義貞の鎌倉攻めによる、北条一族の滅亡
・関東管領上杉禅秀の自害
合戦や暗殺は日常茶飯事であった。






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頼朝公の墓所から右に進みますと大江広元の墓所が見えて来ます。
鎌倉幕府3代に使えた優秀な官僚・側近でした。
なかなか立派な墓所でしたねぇ。頼朝の墓所と比べますと。

「義経討伐」の入れ知恵したのもこの広元でした。






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さて大江広元の墓所の下には鎌倉で一番恐ろしいとされる墓があります。
「三浦一族の墓」です。泣塔クラスの祟りがあるとされてます。
場所は崖にありました・・






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草木蔽われて目立ちませんが穴がある事は分かります。






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頼朝挙兵を助けた三浦一族は代々幕府に重用されました。
しかし三浦蓁村の時に、幕府の実権を握ろうとしていた
北条時頼のあらゆる挑発と謀略を三浦一族に斯けましたました。
激高した三浦一族は兵を起こし、宝冶元年1274年
時頼との戦いに敗れた一族は頼朝の墓所法華堂に立て篭もりました。
頼朝の肖像画の前では一族は昨日までの繁栄の夢を語り、
やがて声高に念仏を唱え始め、堂内の全員が合掌したいう。
追討の兵士が法華堂ある領域に入ると、最早是までと
蓁村以下一族郎党500人が自害しました。法華堂は血に染まり、
三浦一族は滅び、北条一族の時代の到来です。






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これが三浦一族の墓です。無念の想いで自害した一族の怨念が中に漂ってます。
墓の右奥には「居る」そうです。霊能力者 寺尾玲子氏が霊視してます!
くれぐれも中には入らない様に!!!





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丁重に撮影と成仏の祈りを済ませまして一目散に退散しました!
夜は暗闇に包まれますので訪問される際は自己責任で訪れて下さい。

以上鶴岡八幡宮周辺レポートでした。

鎌倉魔所(前編)

レポ提供:ヴラド魔王様

神奈川県鶴岡八幡宮周辺


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JR横須賀線を使い鎌倉駅に到着しました。
鎌倉は東京や京都同様、歴史を動かして来た都市です。
ですから、鎌倉の中には沢山の「魔所」が存在します。
鎌倉の「地名」の元を辿って行きますと遥か昔に溯ります。
伝説に因れば…神武天皇が統治していた時代に鎌倉には
「東夷(とうい)」と呼ばれる人達が住んでました。
神武天皇が東国の征圧に軍を出した時、東夷は激しく抵抗しました。
征圧軍は毒矢を使い東夷を射殺しました…
虐殺された東夷の数は1万人にも上りました。
その遺体を埋めたのが、今の鎌倉であり別名「屍倉」と呼ばれてました。
屍倉が訛って鎌倉と成ったのでした。
即ち鎌倉は、恨みを呑んで死んだ戦死者達が埋葬された
「墓地」の上にあるのです。





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鎌倉駅から先ずは若宮大路を目指します。
この若宮大路を建設したのは、源頼朝の妻である北条政子でした。
1182年、政子は(2代将軍頼家)の安産を祈願して完成させました。
道の真中にある一段高くなった道は「段葛」と呼ばれてます。
身分の高い武士が歩けた道でした。庶民は段葛の脇を歩いたのでした。





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若宮大路を進みますと三ノ鳥居が見えて来ます。
此れは江戸時代に将軍徳川家綱が寄進したものです。





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太鼓橋(渡れません)を通過すると左右に池が見えます。
右が「源氏池」、左が「平氏池」と呼ばれてます。
右の源氏池には島が3つ「三」は「産」に通じるとして、
白漣植えられ源氏繁栄が込められてました。
見えますのは「旗上神社」です。





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左には「平氏池」です。池には紅漣が植えられ中に島が4つ…
「四」は「死」に通じるとして、平家滅亡を祈ったとされてます。
真夏には漣の花が咲き乱れます。勇気のある方は「挑戦」してみますか?
ビデオカメラを漣が生茂る辺りを撮影してみると、
葉と葉の間に源平合戦で亡くなった武士の亡霊が写るそうです。





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平氏池を通過し左に曲りますと、西鳥居に行ける道があります。
その脇に「伝説の石」である「よじべぇ石」が奉納されてます。
しかも…公衆トイレの前に。





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此れが「よじべぇ石」です。大正12年(1923年)に関東地方を襲った
関東大震災で鎌倉にあった飯島の海底が隆起し、畳三畳敷にも及ぶ
巨石が沈んでいる事が発覚しました。飯島は昔から「魔所」と呼ばれ、
「飯島の海には河童が棲んでいる」とまで云われてました。
代表的なのは…
・突然漁師の網が切れる。
・海水浴を楽しんでいた子供が引き込まれる。
などの伝承が残ってます。

巨石を発見した時は、石の周りの砂は深く抉られており、
飯島の西沖に大きな流れを作り出していた事も分かりました。





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巨石は直ちに引き上げられました。地元の憶測では・・
「和賀江島築港で運んで来た石を、誰かが間違えて
この場所に落としてしまったのがろうか・・?」と処理されました。





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その後、巨石は「よじべぇ石」と名付けられ、
鶴岡八幡宮へと奉納されました。現在飯島は逗子アリーナの下に埋立てられ、
その姿を見ることは出来ません。その近くには、神奈川最大の心霊スポット
「小坪トンネル」があります。





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「よじべぇ石」の撮影を終え、鶴岡八幡宮から出て鎌倉宮方面に向かいます。
この八幡宮から鎌倉宮の間には「鎌倉の魔所」が沢山存在します。
何箇所か紹介しましょう。
鎌倉宮に行く途中に「魔の淵」が存在します。
車が頻繁に行き交う道路沿いにありました。
道路の下を流れる小さな川?(溝川)を見付けました。
小さい橋が架かって?ました。





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溝川の袂には何故か御地蔵様が安置されています。
かつての溝川は今より大きかったのです。青黒く深い淵になっていまして・・
川には魔物が棲んでいて、多くの通行人が川に引き摺り込まれて
魔物の餌食となりました。淵の一体はやはり「祟りの場所」とされ、
以前は土地を買う者さえいませんでしたが「供養」の為に御地蔵様を
建立した所「祟り」も収まり今では住宅地が広がってます。





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今でも「封印」された魔物はいるのでしょうか・・・・





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この御地蔵様がいらっしゃる限り「祟り」の復活はないでしょうが・・
鎌倉市の区画整理で動かされたら・・再び魔物は甦るに違いない。

〈後編へ続く〉

東勝寺跡と腹切りやぐら

レポ提供:ヴラド魔王様

神奈川県鎌倉市

源氏終焉の地と鎌倉幕府滅亡の現場レポです!


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これが鶴岡八幡宮の舞殿です。





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舞殿の後には巨大な銀杏があります。
この銀杏に隠れていたのが…





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鎌倉幕府3代目の暗殺を狙っていた、
2代目将軍頼家の子供の公暁であった。





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雪が降る日、純白に染まった石段は刀で切断された
実朝の首から噴出す血で真赤に染まりました…





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東勝寺跡と北条高時の腹切りやぐらに行くには
小町大路を目指します。小町大路に出ましたら
滑川(なめりかわ)に向います。
静かな住宅地を抜けますと、滑川に掛かる東勝寺橋が
見えて来ます。此処が入口。

鎌倉幕府最後の日、東勝寺には討伐軍に追詰められた
北条一族が集まってました。其処には14代目執権高時もいたのでした。
僅か9歳という幼さで執権に就任させられるとは不運な人物でした…
新田義貞軍によって鎌倉は炎上、徐々に東勝寺にも討伐軍の足音が
近づいて来てます。その時、武蔵野へ出陣して以来80以上の合戦に
参加し、其の度に先陣をきっていた猛将長嶋高重が東勝寺に戻って来ました。
「もはやこれまで…憎き義貞に首を獲られる前に、早く自害を」
血だらけの無残な姿の高重がそう言うと、躊躇いを隠し切れない
高時とその一族は、暫くは其の場で黙り込んだのでした。
すると、高重がの実弟の新衛門に酎をさせ、堂々と杯を飲み干した高重が
「私が手本を見せましょうぞ!」と言った瞬間、皆が見ている前で
自分の腹を十字に斬り、自らの腸を抉り出し、死に伏せたのでした。
そして北条一族は次々と高時の前で自害して行きました。
死体が誰にも分からない様にする為に東勝寺には火が放たれました。
火災は見る見るうちに燃え広がりました。
一族がいた部屋も炎に包まれて最後まで自害を躊躇っていた高時も
遂に自害しました。この日、高時と共に自害した者達は、
一族を合わせて870人にも及びました…
こうして、源頼朝を開祖とする鎌倉幕府は滅亡しました。





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橋の下は滑川が流れてます。此処の東勝橋にも伝承があります。

鎌倉時代、執権北条時頼に仕えていた青砥藤綱という武士は、
この東勝寺橋を渡った時に、十文の銭が入った袋を滑川に落としました。
普通は諦めてそのまま行ってしまいますが…藤綱はわざわざ人を雇い、
夜間だった為に五十文を払って松明を買求め、川の中を探させたのでした。
落ちた十文銭は見つかりました。後でこの話を聞いた住民がこう噂しました。
「藤綱は勘定知らずの頭の悪い武士だ。」と笑い者にされました。
しかし藤綱は反論しました。「天下の銭を川に落としては國が十文の損を
してしまう。私が使った五十文は、私自身が損をしたかもしれないが、
その銭を受取った人達によって、今後も世の中で使われるのだから、
決して天下の損にはならないではないか。」と何の恥も感じず言ったという。
この話は、御金の大切さを伝える話として、
現代にも伝えられている有名な話である。





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東勝寺橋を渡り切りますと、坂道が見えて来ます。
道沿いを進みますと左手に発掘の終了した土地が見えて来ます。





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今では雑草が生茂る原っぱと化してますが、
鎌倉時代には広大かつ頑強な城塞風の東勝寺が存在してました。





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原っぱ沿いを進みますと、祇園山ハイキングコースの入口が見えて来ます。
その脇に、高時の腹切りやぐらへよ続く道がありました。
入口の前にはこんな立看板が…





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舗装されていない狭い道を歩いて行きます。
すると脇の草叢からは何やらガサゴソと音がしました…
一瞬ビビリましたが、今鎌倉で問題に成っているタイワンリスでした。





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この腹切りやぐらは、間口4メートル・奥行6メートル程の
横穴式の墓です。昭和41年に宅地工事の際、夥しい数の焼けた人骨と、
初七日と記された五輪塔が出土した為に、それらの人々を供養する目的で
このやぐらは制作されました。ですから此処で高時や北条一族が
集団自決した場所ではありません。





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やぐらの入口には強大な御塔婆が立ってました。
人間の背よりか高い物です。





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よくこのやぐらの中を撮影しますと怪現象に遭遇します。
1.シャッターが下りない
2.写真が真赤な怪光に蔽われている。
3.何も写って居ない。
4.撮影する時に、薮蚊の大群に襲われる
等の証言があります。もしこのような事態に成りましたら…
帰り次第神社や寺院で御祓いを必ず受けましょう。





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丁重に手を合わせ、ヤグラの中から外を撮影しました。
くれぐれもそれ以上中には入らない方が良いですよぉ。
此処に眠る方達の怒りをかいますので…あと夜の訪問は
非常に危険です!どうしても訪問したい時は自己責任で御願いします。

以上東勝寺跡と北条高時の腹切りやぐらレポートでした。

鈴ヶ森処刑場跡

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都品川区南大井


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京浜急行の大森海岸駅から品川方面に歩く事、10分
第一京浜沿いに刑場跡が在ります。





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入口に設置されている看板です。
今残る遺跡は僅かで処刑された方を供養する為の供養塔や
御地蔵様等が置かれてます(沢山)
昔の刑場の面積は1120平方キロメートル在りました。





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此れは「首洗い井戸」罪人の首を此処で洗い、
獄門に処したとされてます。
(網を開ける勇気は有りませんでした…)





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刑場に残されている…「磔台口跡」と「火炙り台跡」です。
御花と供え物が置かれてます。





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此れは火炙り台口跡、昔は海に近く常に強風が
吹き付けてましたから…
罪人を縛りつけて…近くに煙が沢山出る焚き火を焚き…
罪人を息苦しさと熱さで死へと追いやりました。





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此れは磔台口跡です。
磔刑は・・・槍で串刺しでした・・・・





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刑場跡地の隣には大経寺が隣接してます。
展示物は少ないですが見学を希望しますと
住職様が分かり易く刑場の歴史を語って頂けます。
夜の訪れましたので私は大経寺に処刑された方の
成仏を願い帰宅しました。
…今でも地面を掘りますと骨が出るそうです。(本当に)

新田神社・十寄神社(前編)

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都大田区


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新田神社・十奇神社に行くには「東急蒲田駅」から出てます、
東急多摩線に乗り2つ目の駅「武蔵新田駅」で降ります。
静かな商店街を歩きますと緑が生茂る一体が見えて来ます。
其処が新田神社です。





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濃い緑に覆われてますからとても涼しい場所でした。
新田神社の入口です。





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神社の祀神は新田義興様。

鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞の子である義興は、
後醍醐天皇の南朝方の武将として、義貞死後活躍するが、
正平13年(1358年)武蔵国多摩川の矢口渡しで、
足利基氏と畠山国清によって謀殺されました。
その後、実行犯である江戸氏の者が矢口渡しを通った時、
白馬の上に雷神と化した義興が現れたため落馬し、
七日間溺れる真似をしながら狂死した。また、義興は憎き
畠山国清の夢に現れたあと、入間川周辺にあった村々は
雷火によって廃塵と化しました。さらに矢口渡しでは、
夜な夜な火の玉が現れ、地元の住民を悩ませました。
祟りを恐れた住民は新田大明神として祀ったとも云う。
後に江戸時代に新田開発を背景にして、義興は祟り神と
してでなく農業神として信仰されました。





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鳥居を潜り境内に入ります。





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目の前に見えますのは本殿です。
なかなかの立派な造りの木像本殿ですねぇ。





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狛犬の斜め真向かいには御神木があります。





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公自然の生命力には驚愕させられる御神木です。
樹齢700年。幾多の時代を見てきた木です。





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公新田神社には七不思議があります。
その一つので一番有名なのは、この唸る狛犬です。






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義興公謀殺に関わった畠山氏の血縁者が、
この神社に来た際には雨が降り、狛犬が唸ったとされてます。
私が撮影した日は曇ってましたが…狛犬は唸りませんでした。。
良かった血縁者じゃなくて。ネットでも調べましたが…
他にどんな七不思議かは分かりませんでした。残念無念。

後編へ続く

胴 塚

レポ提供:ヴラド魔王様

茨城県岩井市


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夏休みが取れましたので、初めて高速バスを使い茨城県岩井市に行きました。
岩井市に行くには、高速バスか自動車を使って行くしかありません。
便利なのが東京駅八重洲口の高速バスターミナルですが…
岩井市行きのバスは1時間に1本しかないので出発時間には注意です。





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まずは高速道路に乗り、茨城県岩井市を目指しました。
常磐高速道路から降り一般道へ、暫くは停留所に停まり進みの続きました。
御目当の延命院は神田山(カドヤマ)で降ります、カンダヤマとは謂いません。
神田(カド)とはカラダが訛ってカダ→カドと成ったという説も在る様で、
東京の神田明神の名も此処から取られたと云われてます。





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停留場からちょっと戻ります、案内板も無い為ですから…
感で探しました。歩道の右側に車の解体工場がありました。
その脇に舗装されて無い道がありましたその道を歩きました。
夏だと言うのに、栗の実が落ちてます。暫く歩きますと
墓地が見えて来ました。当りです!
延命院の墓地でした。木々が生茂る方に歩きました。
見えました!!此れが胴塚の入口です。





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入口を抜けまして塚の方に歩きました。
参拝者は居ません。東京の首塚と比べますと…寂しいですねぇ。





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胴塚案内板です。





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胴塚の脇には、大手町の首塚保存会から寄贈された
石碑がありました。隣のは延命院の住職様からの寄贈石碑です。





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さすがは江戸っ子の方は気前が善いですねぇ。





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石碑の後です。昔の写真では石碑の脇に
蛙の置き物がありましたが…撤去されてました。





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さて此れが平将門公の胴塚です。北山の戦いで不運にも流れ矢が
頭に命中し絶命しました。戦いの後、将門公の首は切断され
京都に運ばれ、胴体は此処に埋葬されました。





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伝説では、京都から飛んだ首は胴体を探しに
岩井市へ飛んで行きましたが…力尽きて大手町に落ちました。
其処が有名な首塚ですねぇ。





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胴が埋葬されているだろう上には、嶮しい顔の石像がありました。
まるで封印している様に見えます。





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塚の斜め向いには御地蔵様がありました。
此れも監視しているかの様に見えます。





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胴塚は茨城県の史跡と天然記念物に指定されています。





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胴体があるだろう塚の上には、巨木があります。
萱(かや)の巨木です。樹齢は相当あるでしょう。





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延命院から炎天下の中国道354号線沿いを歩き、将門公終焉地の
辺田にある北山合戦場跡(北山大明神)を探しましたが…
見つかりませんでした。諦めて國王神社に向かいました。
國王神社は、岩井市の北の外れにあります。
岩井交番前交差点から国道20号線沿いを歩き続け、
暫く行きますと案内板が見えて来ます。





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涼しい風が吹く林沿いを歩きました。





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國王神社案内板です。





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入口の石碑です。





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整備された参道を歩き本殿に向かいます。





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本殿入口です。珍しい茅葺の社殿でした。





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國王神社は、関東支配の拠点の館があった場所に立ってます。
此処で将門公は「新皇」宣言をしたんですねぇ。





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丁重に参拝を済ませて社殿の中を撮影しました。
普通の社殿の中でした。が、隣には…





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隣には将門公の娘様が彫ったとされる、木像の御神体の写真がありました。
いやぁあ凄い形相の写真でした。國王神社の祀神ですので、木像は社殿の
奥に鎮座してます。許可が無いと撮影は出来ないと思います。
くれぐれも無許可で社殿に入り撮影しない様に!





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延命院・國王神社は24時間開いてます。
両方とも岩井市の心の支えと成っている場所ですので
静かにかつ畏敬の気持ちで参拝しましょう。

岩井市までは高速バスで片道1,300円(岩井)
神田山までは1,200円です。

以上、岩井市の延命院と國王神社レポートでした。

大雲寺「エロ地蔵様」

レポ提供:ヴラド魔王様

埼玉県桶川市

その昔、お地蔵様が夜な夜な歩き出し、
女郎を買いに出掛ける事あったそうです。


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お地蔵様が置かれている、大雲寺に行くには
JR高崎線を使います。各駅停車に乗り桶川で下車。
赤羽からですと30分程で到着します。
桶川に到着しましたらまずは東口へ・・・
駅前通りを真直ぐ進みますと旧中山道が見えて来ます。
中山道に出ましたら北に向って歩きます。





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街道沿いは昔の古い建物が点在。
桶川は江戸時代は宿場街でした。ですから沢山の宿が密集。
人や物が集まれば娯楽が生まれ、そして夜の娯楽も
また生まれます・・・中山道でも桶川は有数の「色町」
(歌舞伎町や吉原見たいな場所ですねぇ)でした。





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街道沿いに在った地図。御目当の「大雲寺」までは
歩いて10分程で到着します。





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桶川市の解説文です。





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解説文の続き・・・





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街道沿いを歩きますと大雲寺の入口が現れます。
前日に雪が降りましたので日陰の雪は氷に成っているので、
足元を注意しながら入口に到着。さぁ境内に入ります。





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最初に見えてきますのが立派な鐘堂が見えて来ます。
大晦日には恐らくは行列が出来るでしょう。





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今は閉鎖されてますが立派な門もありす。





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此方が本堂です。お目当のお地蔵様は
本堂前の広場にいらっしゃいました。





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恐らく此れが伝説の「エロ地蔵様」と思われるお地蔵様・・・
伝説では、このお地蔵様は夜な夜な歩き出し、女郎(←売春婦の
事でしょうか?)を買いに出掛ける事あったそうです。
「地蔵が毎晩の様に女郎屋で飲めや歌えと騒いでいる」という噂が
この話が和尚の耳に入り、激怒した和尚は、何食わぬ顔で立っている
地蔵の背中に鉄の輪を打ち込み、鎖で繋いで動けなくしまったという
伝説があります。





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お地蔵様の背中を検証。3体のうちやはり一番大きいお地蔵様が
怪しいかったです。お地蔵様の首の辺りに不自然な突起物があります!
鉄と輪は300年の間の風雨で風化してしまったか、もしくはお寺の
改修工事等の時に「その伝説が伝えられてなく」除去された可能性が・・・
と、いう事は封印を解かれたエロ地蔵様は、現在も夜な夜な遊びに
行ってるのだろうか?!





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アップにしてみました。





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3体のお地蔵様の隣には同じく石像が沢山並んでましたが、
大半が水子供養の石像でした。
念のため失礼ながら背後を検証しました。1体1体ずつ・・・
全て見ましたが怪しい石像はありませんでした。
やはりあのお地蔵様が「エロ地蔵様」なんですねぇ・・・





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もしあのお地蔵様が「でなければ」、恐らくお寺としては
「恥かしい仏様」であるから外に置いとく事は出来ずに
寺院の中に封印されている可能性があります。
背中に鉄の棒を打ち込まれた姿のままで・・・

以上、大雲寺「エロ地蔵様」レポートでした。
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Author:屋敷サカヱ
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