伊良湖監的所

愛知県伊良湖岬
【探索日】2008年9月

伊良湖岬の軍施設の数少ない遺構のうちの、
試射場からの弾道・着弾を観測する施設跡です。
「日出監的所」と呼ばれていたそうです。


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駐車場には渡り鳥を観察する大勢の観光客。
上を見上げたままの人達とは別に砂浜を歩きます。

・・・果てしなく歩きます;
見た目は楽な陸続き…しかし実際は過酷な行軍;;




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やっっっっと近くまで到着しました;
想像より遥かに小さい監的所。




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崖を登ってレンガ造りの遺構に近づきます。




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中に入っているのは天井でしょうか・・・




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天井は落ちましたがレンガの壁は激しい海風に
曝されながらもずっと海を見ています。




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美しいレンガ積みです。




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海側の角は少し形を替えて作られています。




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青空を蒼い海がとても良く似合う。




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天井が落ちてるお陰でさらに窮屈な監的所内部。




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激しい環境の中 これからもひとりで頑張ってます。

駐車場に戻るとちょうど鷹の渡りに遭遇。
伊良湖岬は一年を通して見所いっぱいな場所です。

草むらの廃講堂

愛知県北部
【探索日】2006年9月

※取り壊されました。

偶然見つけた草むらに埋もれた小さな建物。


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ひっつき虫(草の種;)に囲まれた小さな物件。
造りは講堂のようでもあり興味をそそります。




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総木造造りの建物の中。




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窓の木わくが懐かしい雰囲気をかもし出しています。




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壁には黒板が残されています。




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再利用もされていたのでしょうか。




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木工製品も置かれています。




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僅かな隙間から蔦の侵入。




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何を求めて床を彷徨うのでしょう。




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これは児童の飾り付けでしょうか?




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小さな小さな講堂。




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眩く光の差し込む窓にしばし見とれます。




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窓の外には草のバリケード。




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講堂の隣には頑丈な物置き。




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懐かしさ漂う建物を堪能して撤収。
木造って手入れが大変ですが心が落ち着きます。

根尾の廃屋(その2)

岐阜県某村
【探索日】2003年5月

1よりさらに山を登った所にたたずむ廃屋。
こちらも以前通った時に、気になっていたので撮影してみました。
雨宿りした人達が話声を聴いたとかの噂が…


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一年前に通った時はもう少し原形を保っていたのですが…
大雨の影響で浸水し、さらに大雪で崩壊が進んだようです。




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屋根裏が落ちかかっています。土壁は丈夫だとの話ですが、
中央部から崩れるのは時間の問題かと…




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玄関からのアングルです。家の中全体にカビ臭い匂いがします。




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ショーケースでしょうか?土間には色々なモノが放置されています。




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柱はしっかりしている様に見えるのですが。




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奥の間には何故かタイヤが転がっています。
お邪魔しようかと思ったのですが、床が見事に腐っていて、
一歩も中に入れる状況ではなかったです。




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仕方がないので庭(?)から…布団が積み重ねられています。
色、質感からして相当腐っているかと。。
苦手な廃屋探索…克服できると思ったが、中途半端に終了。
次回訪れる時は崩壊していると思います。
ここへは、余程の事がない限り近付かないで下さいね♪
草むらには蛭の大群!至る所にマムシ!木の上には猿が
睨みをきかせていますし、熊の新鮮な足跡がすぐ近くに
残っていました♪さらには散弾銃の空薬莢が無数に転がっていますよ〜

根尾の廃屋(その1)

岐阜県某村
【探索日】2003年5月

山奥にひっそりと建っている廃屋。
所用で通った時に気になっていたので撮影しました。
いずれ森に飲み込まれてゆくのでしょう。


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山道をかなり進んだ場所に、ひっそりと建っている
気になる物件その一です。長い間放置されていて、
雪や雨の影響で屋根が変形しています。




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玄関を入った所から撮影。梁が落ちています…
ブリキのバケツや錆びたワイヤーが転がっているのですが、
一際目につく場違いな冷蔵庫…不法投棄か?




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奥の部屋…ストーブに椅子があるその中に、
子供のおもちゃが置いてあるのにはびっくりしました。




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玄関横の物置き場所。雪の重みででしょうか、
梁の部分がずれています。足の踏み場が無いくらい
材木が散乱…天井から落ちてきたモノか…
危険そうなので撤収。




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表に咲いていた、あやめ科の「しゃが」の花。
紫色がとても綺麗でした。

未完成駅

愛知県知多半島
【探索日】2008年4月

宅地造成計画にともない建設されていた駅。
計画の中断により駅の建設も頓挫・・・
今は橋桁の一部のような姿になっています。


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細い農道をひたすら走った先に未完成駅が見えてきます。




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青いトラクターはここのシンボル的存在。




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下り方面の階段を慎重に上って行きます。




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ホームに出ました。線路は現役なので足早に見学終了。




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上り方面の階段を上がります。




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はるか遠くから列車の気配;




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ここまで造られても使うあてがなければ…




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通勤客の賑わいを一度も体験出来ない悲しい駅。




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山桜が花を添えています。



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列車はいつも通過するだけ。寂しげな駅をあとにします。

内海トンネル

愛知県知多半島
【探索日】2008年5月

山奥にある用途不明な未完成トンネルです。


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久し振りに訪れてみました・・・が、金網が張られている!!
確かに普通のトンネルより地盤が脆くて危ないし当然の処置かな;


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駄目元で反対口を覗いてみる事にします。
こちらには金網が張られていませんでしたので早速中へ!



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天井のどこからか光が差し込んできています。



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崩れた土砂を登って下るとすぐに到着。



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金網を背にしてトンネル内を撮影。
脆い地肌はいつ崩れるか戦々恐々;



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他の天井からも光が入ってきてました。
しばらく後には天井ごとごっそり落ちるのでは?



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こんな場所で埋まったら・・・と思うと
早足でトンネルの外へ脱出。



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木々の間に立て看板がひっそりと注意喚起してました。

摩文仁平和祈念公園

〜沖縄、忘れられない、20世紀の爪あと〜
沖縄県糸満市
【探索日】2006年5月

軍民あわせて20余万にのぼる尊い人命を失った沖縄戦。
悲惨な戦争を二度と繰り返すまじ。沖縄県民のこの悲痛な願いを結集した
沖縄平和祈念堂は昭和53年10月1日に開堂しました。
〜案内パンフレットより抜粋〜



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摩文仁の丘にそびえたつ真っ白な祈念堂。
正七面体角錐型で堂字は、七つの海と合掌の形を表し、
人種や国家、思想や宗教のすべてを超越して、
世界に平和を訴える壮大なモニュメントです。



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右手には平和の鐘があります。
「戦いに散った魂を鎮め 人類の悠久平和を誓い
この平和の鐘は とはに絶えることなく 四方に響きわたる
ここ摩文仁の丘より 万人の祈りをこめて」
と銘文が刻まれています。



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振り返ると緑豊かに整備された公園が広がっています。



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祈念堂入口には国内最大の蝶オオマダラの金色の蛹が…
ギリシャ語で蝶のことをプシュケー(魂)と呼び、
戦没者を追悼し、平和祈念像の使者として
命の尊さを訪問者を優しく出迎えているそうです。



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祈念堂の内部には沖縄平和祈念像が鎮座されています。



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高さ12m、幅が8mの人間の祈りの姿を象徴した座像。
慰霊と平和の一点に力を合わせていこうという事を
10本の指を合わせた合掌の形に表現されています。



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平和祈念像の基底には、日本はもとより…



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世界各地から平和への祈りを込めて
寄せられた霊石が納められています。



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平和祈念堂を出た瞑想の森の中には、
少年の像が建てられていました。



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この近くのガジュマルの木の根元から少年の遺骨と
朽ちた軍靴、錆果てた手榴弾3発が発見されました。
沖縄戦で散った前途ある少年たちの死を
悼み慰めるために建立されました。



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坂を下って行くとシーサーが出迎えてます。



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沖縄県平和祈念資料館の入口に着きました。



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とても神聖な空間な感じがします。



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ここには静寂だけが存在します。



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時間の都合で資料館見学はできませんでした。
資料館の中には民衆の視点からの沖縄戦の記憶を中心に
常設されていて、当時の体験者の証言や写真、
遺品など約2100点が展示されています。



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資料館の前庭に錆びた物体が…



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旧日本海軍の酸素魚雷です。



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スクリュー部分は錆びてボロボロに。



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当時日本が誇る世界最新鋭の航跡を残さない魚雷も
長い年月で朽ち果てていきます。



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後方にも小型の魚雷が展示されていました。



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もう使われる事も動く事もありません。



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野戦砲の残骸も置かれています。



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米軍のキャタピラも日射しに晒されていました。



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ボンベのバルブも回らない。



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赤レンガが印象的な資料館をあとにします。



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そして広大な園内に立つ平和の礎。



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国籍、軍人、民間人を問わず沖縄戦で
戦没した方々の氏名が刻まれています。



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沖縄戦で米軍が初めに上陸した阿嘉島で採取された火と
広島市の「平和の火」、長崎の「誓いの火」を合わせた
平和の火が灯るオブジェ。プールには世界地図の中心部に
沖縄の位置に建てられています。



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多くの学生が訪れていました。



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沖縄戦跡国定公園の一番南にある断崖。
この美しい場所でも米軍に追われ逃げ場を失った
日本軍、住民、学徒、防衛隊らが身投げをし
多くが命を絶ちました。

恒久の平和を願います。

糸数アブチラガマ(糸数壕)

〜沖縄、忘れられない、20世紀の爪あと〜
沖縄県南城市
【探索日】2006年5月

ー平和の思いを新たにー
字糸数にある自然壕のこと。糸数壕ともいい、
大戦で住民避難、病院等に使用されました。
米軍の生き埋め攻撃などにより、多数の住民死者を
出しました。現在、平和学習の場として
多くの人たちが訪れています。
〜案内チケットより〜


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南部の激戦地に残された壕。整備され施設となった糸数壕には
日本各地から平和学習として多くの学生達が訪れている様です。
激しい雨の降る中、学生集団の合間に中に入る事にしました。
※暗闇学習(無灯火)時を邪魔しない事を条件に撮影の許可を得ました。



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冷たい空気が吹き出す壕の入り口から中に入ります。



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照明は無く文字通り漆黒の闇…



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入口の階段を降りた場所に兵器庫があります。
この先は崩落の危険があり立入禁止。



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ベッドが置かれていた場所。当時の備品がそのまま。



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この壕には600人以上の負傷兵で埋め尽されていたそうです。



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破傷風に感染した患者を隔離した場所。



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外光から閉ざされた壕内には滴る水の音だけがこだましています。



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脳に傷を負った患者を収納したようです。
広間では案内人がたくさんの学生達に当時の様子を語っていました。
学生達はただ黙って話に聞き入っています。



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便所の奥には死体安置所の看板。
当時の生き証人のお話を学生達の後ろで拝聴。
栄養失調などで泣き出す子供を、兵隊が口に手を当て窒息死させた…
苦しい状況の中、住人達は息を殺すしかなかったのです。
もぅこんな地獄は味わいたく無いと。



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近くには生活に必要な小さな井戸。



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カマドの跡です。



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ただしこれは軍関係者のみが使用していたようで、
地元民は出口近くに追いやられ多数が米軍の被害に遭いました。



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長細い糸数壕にたくさんの病棟。



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通路の下はすべて負傷兵が占拠していました。
その中で、南風原陸軍病院から移動して来た、ひめゆり学徒隊の数十人が
看護にあたっていた様です。



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糸数壕の出口付近。米軍の攻撃時に黄燐弾やガソリンを投げ込まれ
住民の中に多くの死傷者が出ました。



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すぐ近くに住民は押しやられていたのです。



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勝手に壕の外に出ない様、軍の監視所が設けられています。



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立てこもる兵士や住人に対し米軍は土砂で壕ごと生き埋めにしました。
終戦を向かえ、生き残った住人と負傷兵は米軍に収容された。



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私達は今、自由に表に出る事ができます。



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外の光がとても懐かし…



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哀しみに包まれた壕を後にします。
今の平和な時代を再認識させられた場所でした。

南風原文化センター

〜沖縄、忘れられない、20世紀の爪あと〜

沖縄県南風原町
【探索日】2006年5月

ー施設案内より〜
南部への避難コースとなった南風原(はえばる)は
住民の42%にあたる3345人の住民が犠牲となった。
町内の森林一帯には、陸軍病院壕が造られた。
文化センター内には当時の壕の様子を再現した
ジオラマや、掘り出された遺品などを歴史などと共に
展示されています。



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雨が降りしきる中、南風原文化センターに到着。
建物の横には供養塔が建っています。



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社会学習の子供達と一緒に見学。
みんな真剣にちゃんと展示物や年表を見ています。
こちらが壕のジオラマ入り口。



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向いには寄贈された米軍の高射機関砲の砲身。
近所の人が戦後回収して自宅の柱として
使っていたモノだそうです。



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当時の沖縄の空は夥しい数の高射機関砲の弾幕で、
日本の航空機は一切近付けませんでした。



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病院壕で発掘された遺留品。



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ジオラマの中に入って当時の
格好をした軍医に驚かされました。



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病院独特の臭いが充満。
発掘された医療器具が並べられています。



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数少ない医療用品を増え続ける負傷兵に
有効に使われたのでしょうか…



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証言によって描かれた壕内のイラスト。



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今回廻れなかった今の病院壕の様子。
どれも長い年月で崩れ、焦げ跡も生々しく残っています。



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発掘作業の様子の写真。数多くの遺骨も回収されました。



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眼鏡のフレームや櫛、煙管や万年筆も発掘、展示されています。



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砲弾や爆弾、砲撃された壁の写真も…



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天井から吊るされた着物には穴が開いています。
この着物は、妊娠した女性の腹に砲弾の破片が当たり、
愛児が盾になる形で女性の命は助かった…
恨みの弾痕、着物からは哀しい叫びが聞こえてきそうです。



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戦前、海外へ移民した人々の品も展示されています。



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日本軍が配付したこの軍票はただの紙切れとなった。



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出口に特別展示された品々。
熱によって蒸された毛布…



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顕微鏡です。



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地雷や手榴弾、銃の部品も残されていました。



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鉄兜の持ち主は生き残れたのでしょうか。



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文化センター2階にも壕で発掘されたモノが
ところ狭しと展示されていました。



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ツルハシやクワなども…



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汗や血が染み込んだスコップ。



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何に使われたであろうか沢山の瓶。
ここを訪れた人達は過去の悲惨な出来事の記憶を
決して忘れないでほしいものです。


ひめゆり学徒隊も配属された南風原病院壕。
当時は30以上もの壕が掘られ、最も大きい壕は
第20壕で、長さ50m・幅2m・高さ2mもあった。
今でもツルハシの跡や、炭化した抗木が残っています。
大戦の戦跡では全国で初めて、南風原町の文化財として
指定されました。

ひめゆりの塔

〜沖縄、忘れられない、20世紀の爪あと〜

沖縄県糸満市
【探索日】2006年5月

戦時中「沖縄師範学校女子部」と「県立第一高等女学校」で
看護要員として動員された女子学徒隊数219名。
ひめゆりとは両校の同窓会の名前です。
南風原陸軍病院に配属され、123名が犠牲となった。
この壕では46名の学徒、職員が一度に亡くなりました。



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沖縄南部戦跡めぐりで訪れたひめゆりの塔。
書籍などでここでの惨劇は知ってはいましたが、
いざこの地に降り立つと神妙な気持ちになります。
この日も学生達が大勢訪れていました。



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こちらがひめゆりの塔。



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地元住民により建立されました。



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この壕は沖縄陸軍病院第三外科壕でした。



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多くの負傷兵で埋め尽された壕内で女子学徒達は
献身的に医療に従事していましたが、
6月18日の解散命令後戦場に置き去りにされ、
残こされた負傷兵とともに米軍の毒ガス攻撃で
多くが命を落としました。



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壕へは急斜面を出入りするしかなかったようです。
今だに哀しみが伝わってくるかのような感じがしました。



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時間の都合上見学できなかったひめゆり平和祈念資料館。
館内には職員、女子学徒の写真や生き残った方達の証言、
遺留品が展示されています。



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生存者の有志が建立した石碑。



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他にも石碑や彫像が建てられています。



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沖縄戦殉職医療人之碑。



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顕彰碑です。



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女子学徒の石像。この平和の世の中を
じっと見つめているかのように佇んでいらっしゃいました。
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プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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