御霊神社(上御霊神社)

京都府京都市
【探索日】2003年2月




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祭神として崇道天皇(早良親王)、吉備真備はじめ
十三柱の神霊を祀る。延暦十三年(794年)平安京
遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神
として、奈良・平安時代初期に不運のうちにこうじた
八柱の神霊を祀ったのが初めとされています。
のち明治天皇の御願により、祭神五柱が増祀された。
平安時代には、御霊信仰(天変地異や疫病流行は怨霊の
たたりであるとする信仰)が盛んであったが、御霊神社は
古来疫病除の霊社として有名とされています。




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境内は「御霊の杜」といい、応仁元年(1467年)正月十八日
畠山政長と義就の合戦が行なわれた‘応仁の大乱’の発端
となったところです。

戻 橋

京都府京都市
【探索日】2003年2月

安倍晴明が十二神将を式神として使役していたが、
妻がその容貌を恐れたため、屋敷の側の戻橋の下に
住まわせたと云われています。




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通りの反対側から…以外と小さく見落としてしまいそうな橋です。




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戻橋の欄干。新しいとの印象を受けました。




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橋のたもとに案内板が設置されています。
〜案内看板より〜
延喜十八年(918年)文章博士・三善清行がなくなったとき、
父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都にはせ帰ってみると
その葬列は丁度この橋の上を通っていた。
浄蔵は柩にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ
不思議にも父清行は一時蘇生して父子が言葉を交わしたという伝説がある。
この伝説は戻橋が死者のよみがえる場と考えられていたことを
物語るものである。
このほか、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱が、深夜この橋の
東詰で容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢い、その片腕を切り落とした
話など、様々な伝説、歴史を持つ場所である。
京都市




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橋の下を覗いてみます。。
式神は今はいらっしゃらない様子でした。

繁昌神社

京都府京都市
【探索日】2003年2月




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「班女塚」すぐそばに繁昌町という町名があり
「繁盛神社」という大変御利益がありそうな神社が建っています。





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班女が縁起の良い繁昌に変わったわけですね。
取り敢えず商売繁昌(?)を祈願するため中に入ってみます。





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〜案内パンフより〜
当神社は、今よりおよそ一千年前(第56代清和天皇の
貞観年代延喜の御代)に市杵島姫命、田心姫命、端津姫命が
祭られました。また、安芸の宮島、京都神泉苑、当繁昌神社
の弁財天とはご同体と云われており、悪縁を切り、良縁を結び、
商売繁昌の神様であります。
弁財天は、大弁天、美音天とも云われ、歌や音楽を司るインドの
女性の神様です。〜中略〜滞りの無い弁舌でもって、仏を広め、
寿命を守り、財宝を得させてくれ、無礙融通の神であり、
つまり財の都合を付けて戴けます。〜略〜

閑臥庵(かんがあん)

京都府京都市
【探索日】2003年2月

陰陽道ゆかりの地として紹介された場所です。
鎮宅霊符神の御廟で江戸時代初期、後水尾法王の枕元に
鎮宅霊符神が立ち「我を貴船の奥の院より洛中へ
勧請せよ」との神託を告げ、この地に遷座せられた。
平安時代中頃に方除・厄除として貴船に
置かれたもので、開眼をしたのが当時の陰陽師である
安倍晴明であると云われている。




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烏丸鞍馬口の東側に黄檗宗の尼寺である閑臥庵があります。




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入口を入って左側に井戸があります。
何か云われがあるかもと思い撮影しておきました。




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本廟の脇に鎮座する狛犬。




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足元には五芒星が刻まれています。
この場所が陰陽道ゆかりの地である証です。




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鎮宅霊符神の御廟。




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本廟の正面にある石炉。
五芒星(晴明桔梗)が刻まれていました。

深泥池(みぞろがいけ)

京都府京都市
【探索日】2003年2月

1988年国の天然記念物に指定された
「深泥池生物群集」が生存する貴重な池。
タクシー幽霊で有名な地とされています。
噂では、タクシーに乗せた乗客がこの池を指示し、
着いた(途中)時に消えると云われる。




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電車とバスを乗り継ぎ京都北部の深泥池に到着。
京都最古の自然と云われるだけあり神秘的な雰囲気…




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天然記念物深泥池生物群集を示す石塔。
周辺は結構、車の往来が激しいです。




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目の前を悠然と泳ぐ鴨の夫婦…
この次は夜に来てみる事にします。

白峯神社

京都府京都市
【探索日】2003年2月

蹴鞠の家元「飛鳥井家」の邸宅があった場所。
明治天皇が、祟り神とされる崇徳上皇を祀る社として創建。
平安時代より蹴鞠の神様「精大明神」が
祀られていて、球技に御利益があるとされています。




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通り沿いに大きな鳥居が立つ白峯(しらみね)神社。
今は蹴鞠=球技だけでなく、スポーツ全般の神様としても
御利益があるとか…




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門をくぐり境内に入って行きます。
社には歴代のJリーガーや監督のサインが
数多く奉納されています。さすが球技の神様。




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蹴鞠の碑。藤原成通という人が、千日蹴鞠修行を
果たした直後に、猿のような童子が現れた。
これが鞠の精と呼ばれる神様で、おかげで
藤原成通は神業級の蹴鞠が出来たと云う
伝説が残っています。

大念佛寺

大阪市平野区
【探索日】2003年6月

案内人:夜叉烏(シチズン)様

シチズン様にご案内いただいた大阪探索。
次の目的地は、幽霊画を保管している
大念佛寺。お寺散策も兼ねて訪れました。




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歴史があるお寺だけあって立派な山門です。




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こちらが本堂…感想を一言で言うと、、でっっか〜!!
〜大念仏寺案内版より〜
大源山諸仏護念院大念仏寺と号し、俗に
亀鉦寺とも称する。融通念仏宗の総本山である。
歴史は坂上氏の菩提所修楽寺の別院であったが、
大治ニ年(1127年)開祖聖応大師(良忍上人)
が鳥羽上皇の勅願によって新しく一寺を建立されたもの。
千早赤坂の戦い・大阪の陣等の兵火に遇い
堂宇・什宝等を失った。その後再建したが
明治に出火し大堂以下多数を焼失。現在の大堂は
昭和一三年に竣工したものです。
文化財として、国宝「毛詩鄭箋残巻」
重要文化財「融通念仏縁起」等が保管されている。




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こちらは経蔵であり納骨堂である楽邦殿は、
もう一つ北側にあるお堂でした。8月の第4日曜に幽霊画や
亡女の片袖等の展示(平野街ぐるみ博物館)されます。




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奥に見えるのが聖應大師「良忍上人」の像

〜案内看板より〜
聖應大師「良忍上人」略伝
上人は平安時代の終り頃、延久四年(1072年)
尾州知多郡富田荘(現東海市)の領主藤原秦氏の
家に生れ、十二歳で比叡山に登り出家した。
天台密教の学問を深め、一日六万遍の念仏を唱え
法華経等あらゆる教典を読破書写し来迎院を開創、
浄蓮華院等を復活建立した。美声と音楽才能に恵まれ
声明(仏教音楽)に励み、当時伝えられていた
諸流諸派を統一大成、声明中興の祖と迎がれている。
四天王寺に錫をとどめていた時、聖徳太子の霊告を
蒙り、大治二年(1127年)摂津平野に根元道場
として大念佛寺を創建した。




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宝物館です。




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歴史を感じさせる特大の鐘楼。




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鐘楼の横にはこちらも年代物の大くすのき
高さ18.9m幹回り6.8mだそうです。




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境内を一周して本堂に戻って来ました。
これは良い勉強になりまして…良い運動にもなりました。

神田神宮

京都府京都市
【探索日】2003年2月

京都市内の路地を入った所に、
平将門の霊を祀る小さな小さな祠が立っています。




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民家の軒先きを借りる形で立っているのが神田神宮。
地名の膏薬という名前は、昔、空也上人(十世紀頃の人)が
民間に念仏を広めた道場があった場所で「空也道場」
がなまって「膏薬道場」になってしまったとか…




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情報を頂かなかったら、見逃してしまう所でした。




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表札です。「史跡 神田神宮」
天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也と刻まれています。
その昔、五輪の石塔が立っていて、平将門の霊を祀っていたが
火事で焼失し現在は土台のみが残っていると言うことです。

神泉苑

京都府京都市
【探索日】2003年2月




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延暦十三年(794年)桓武天皇が平安京の造園にあたり、
大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑池であり、
常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられた。
歴代の天皇や貴族が行事や遊宴を行なった場所でもあります。
天長元年(824年)春に弘法大師が、善女竜王を祀って
祈雨の法を修して霊験があったと伝えられ、
以後、名僧が競って祈雨の修法を行なうようになったそうです。




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池の中央に位置する「善女竜王社」
この池には神龍が住むと云われています。
右に見えるのが「恵方社」




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「恵方社」側面の案内板
日本で唯一の恵方社で、神泉苑の歳徳神だそうです。




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「善女竜王社」正面。




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池に掛かる「法成橋」
〜法成橋案内看板より〜
この橋は心に願いを一つだけ念じながら渡ると
叶えられると言われています。

班女塚

京都府京都市
【探索日】2003年2月

『宇治拾遺物語』にこのような物語が載っています。
昔、前長門国守に2人の娘がいた。家は高辻室町辺りにあり、
姉は結婚をしていたが、妹は宮仕えしていた。父母も亡くなり、
姉と同居していた妹は、病気を患い若くして亡くなってしまった。
遺体は家が手狭だったので、妻戸口に安置されたがいつまでも
そのままではいかない為、棺に入れ鳥辺野(とべの)の墓地へ運んだ。
墓地への途中、棺が軽く蓋が少し開いていて、中を見ると遺体がない。
落としたのかと思った人々は、探しながら家に着くと、
遺体は妻戸口にもとの格好で置かれていた。翌日、再び棺に納め
墓地へと運んだが、また蓋が開いていて遺体は妻戸口にあった。
三度棺へ納めようかと動かしたが、根っこの生えたように全く動かない。
思案にくれていると「ここに居たいのだろう、この場所に葬ろう」
と言うことになり、妻戸口を取り壊し、遺体を埋め塚を築いた。
家の人々は遺体を埋めたところに住むのは気味が悪いと言って、
引っ越してしまい、月日が経ち家も壊れてなくなり、塚だけが
残ったということです。




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広い駐車場の片隅に小さな祠が祀られています。
ここが「班女塚」です。




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祠の裏には大きな石が鎮座しています。
未婚の女性が触れると班女の祟りがあるとも…




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「班女」という名は、針才女(はりさいじょ)の訛ったとか、
中国の女性の名前で“男に捨てられる女”の故事にちなんだ
とも云われています。いつしか塚の前を、未婚の女性が
縁談事で通ると必ず破談になるとされ、
嫁入り婿入りの行列もこの前を避けて通ったという事です。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
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5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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