モーゼパーク

石川県押水町
【探索日】2006年8月

 〜案内看板より抜粋〜
押水町には古くからモーゼ伝説があります。
不思議なことに、大賢人モーゼは当地で「十戒」を
授かりました。モーゼは数十万人のユダヤの民を
指導した後、再び当地へ戻りここに眠っていると伝えられています。
このモーゼの墓は「三ッ子塚」と呼ばれており、
たくさんの方々が訪れています。


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石川県の押水町にモーゼが埋葬されているお墓が
あると観光パンフに載っていたので訪れました。
宝達山の裾のに「伝説の森モーゼパーク」の看板。




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お墓まではここから歩いて山登りです。。




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神殿風の石柱が立つ憩いの広場。




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…散策路からは外れないようにします;




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途中にモーゼの墓記帳所がありました。
が、、、蚊の猛攻が凄まじい><;
ゆっくり記帳ができません。


〜案内看板より抜粋〜
何故モーゼの墓と云われるのか?
古史古伝の代表作「竹内文献」のなかにモーゼは押水へ
やって来ていると記されている。
モーゼは「十戒」を刻んだメノウの石(十戒石)を持って
日本を訪れ、当時の天皇にそれを献上した。
大変感激した天皇は、第一皇女の大室姫(おおむろひめ)を
妻としてモーゼに嫁がせた。
やがてモーゼと大室姫は、新たな使命を帯びて離日した。
大業を遂げた二人は再びここへ戻り、押水で永眠した。
この墓は「三ッ子塚」と呼ばれ、中央の大きな塚に
モーゼが葬られ、右側の塚には大室姫、左側の塚には
が葬られていると伝わります。




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蚊に追い立てられるかのように山道を進みます。





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ミステリーヤードで墓が見渡せるハズでしたが…
久し振りの獲物を狙ってのやぶ蚊の総攻撃。
出血多量になる前にお墓に!!先を急ぎます。




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広場にモーゼの写真入りプロフィール石碑がありました。
モーゼは583歳もの長寿だったそうです。





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やっと頂上に着きました。
そこには花が添えられたお墓が…





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かなり年期が入ってしまい判読出来ませんが、
「神人モーセロミユラス魂塚」と書かれています。
ヘブライ語でモーゼのことだそうです。





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その後ろにはハッピーポールまでも…
墓に一礼して退散。痒かったけど古代ロマンを
ちょっぴり堪能させていただきました。

八日市飛行場跡

滋賀県八日市市
【探索日】2005年2月

〜案内看板より〜
この掩体壕は昭和19年(1944年)米軍の日本本土空襲が
激しくなることが必至と見られるにいたり、軍部では飛行機
を空襲から守るために、各航空基地の周辺に急いで作らせた。
この掩体壕は小型機用で八日市市には現在、この他にもう一箇所
残っており、八日市飛行場の語り部として貴重な存在です。
八日市市


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名神高速道路沿いの細い道を走ると
竹薮の中に巨大な掩体壕が現れます。
ここに辿り着く前に迷った迷った…一時は
泣きながら再起を帰そうと思っていたほど;




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敷地の手前には案内看板がありました。

〜案内看板より〜
掩体壕は至近弾の破片は防ぎましたが、爆弾の直撃には
耐えられませんでした。一方、上空から隠蔽する目的も
あったので、壕の上部は土で覆い、草木が植えられてました。
応急の道路が作られましたが、地盤の軟弱な箇所では
タイヤがめり込んで大変でした。それで軟弱な所へは栗石を
大量に投入したり、丸太を敷き詰めて急場を凌ぎました。
また、警戒警報が発令されると、総出で飛行機を掩体壕まで
押していき、警報が解除されると再び飛行機を飛行場へ戻す
作業が毎日繰り返されたものでした。
現在、大阪の八尾飛行場の付近に、これとほぼ同規格の
掩体壕が残されています。八日市市




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中にお邪魔して側面から撮影…




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風化が進み近付くのも危険な状態。




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掩体壕の周りにあった防御壁です。




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雪を掻き分け後ろに廻り込みます。




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後方から見た掩体壕内部の様子ですが、土砂が
入れられています。外にはキャベツの腐乱屍体が大量に…




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最後に竹薮から撮影して終了。

「八日市飛行場略歴」
八日市飛行場は1915年(大正4年)民間飛行場として完成した。
しかし、まもなく陸軍に譲渡され、拡張工事が始り
約一六五万平方メートルの飛行場を建設、航空第三大隊が
1922年に開隊した。以後増強されたが、1944年明野飛行
学校分教場として使用された。
1990年代に八日市飛行場、八日市空襲、布引丘陵に残る
飛行機援護施設である掩体壕等の調査がおこなわれ、
2000年〜2001年にかけて掩体12基が確認された。
一号・ニ号掩体はコンクリート製で入口幅約24.5m、
最大幅約28.1m、奥行約22.5m、現況高約5.5m。
東側には修理工場として使用するための長方形の掩体もある。
その他の掩体は土製で広範囲に残されています。
布引丘陵は飛行機だけでなく、修理整備工場等の
疎開場所として本土決戦に向けた準備の様相を示している。
〜しらべる戦争遺跡の事典より抜粋〜

旧生駒トンネル

大阪府東大阪市
【探索日】2005年5月

 
工事中の落盤事故で多くの犠牲者を出した近鉄奈良線の生駒トンネル。
1914年(大正3年)に開通したが、1946年(昭和21年)トンネル内で車輛火災が発生。
煙りに巻かれるなどして23人が死亡。二年後の1948年(昭和39年)急行電車が
トンネル内を走行中、ブレーキホースが破損しエアーブレーキが全く効かなくなり、
下り坂を加速しながら暴走。河内花園駅で先行の普通列車に追突して49人が死亡した。
1964年(昭和39年)車輛の大型化に適応した新生駒トンネルが開通したことにより
生駒トンネルは閉鎖。同時に大阪側にあった孔舎衛坂駅(くさかざかえき)も閉鎖された。



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住宅地を抜けて山沿いにしばらく走ると
閉鎖されたトンネル口が見えて来ます。





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ホームのあった場所に石塔が建てられています。





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旧生駒トンネル口は厳重に閉鎖されていました。
奈良側のトンネルの一部が再利用されているためだそうです。





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監視カメラが配備されています。





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扉の隙間から中が見れますので覗いてみましょう。
二重の扉とセンサー、カメラ2台で厳重に監視されています。





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朽ち果てたホーム…暴走した列車を
なす術もなく見送ったのでしょう。





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孔舎衛坂駅の駅舎でしょうか?





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駅施設のコンクリート台座が寂し気です。





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ホーム奥に鳥居が立っています。





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不動妙王の像が睨みをきかせてますね。






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貫通石も置かれていました。
ちなみに両側から掘り進められたトンネルの
最後の岩の破片で、工事を成し遂げた記念です。
安産のお守りとしても重宝されているとか…





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こちらが事故で亡くなられた人達の供養の地蔵尊。
冥福をお祈りしてこの地を後にしました。

沖ノ島

千葉県館山市
【探索日】2002年3月

関東大震災のおり、海底が隆起して陸続きになった島。
旧日本軍の要塞跡とも言われています。


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海上自衛隊館山航空基地の側道を走って行くと
ぽつんと島が見えてきます。これが沖ノ島です。





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南房総国立公園沖ノ島公園。天気の悪い時には、
砂浜が海に沈み島へ渡れなくなる時もあるそうです。





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吹きっさらしの砂浜を歩いて渡ると、砂が痛い!痛い!
沖ノ島公園マップ。要塞については一言も書かれていな。





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では公園の探索を開始します♪





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宇賀明神社。真新しい社で木の香までしました。





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海岸線は岩が積み重なった様な地形です。





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海側の休憩所。





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館山港沖島燈台。初灯は昭和46年1月だそうです。





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燈台から森の中へ入ると、木の間にひっそりと
地下壕らしき入口が…残念ながら柵で封印されています。





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近くにもう一つ入口を発見!





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柵の隙間から中を写してみました。暗くてよくわかりませんが、
かなり奥まで続いている感じがします。





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これが飲めない井戸。





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森の中をよく見ると、壕の入口らしき場所がまた一つ。
探索はすぐ終わってしまいました。自然を満喫した感じでした♪

全興寺・地獄堂

大阪府大阪市平野区
【探索日】2003年6月

案内人:夜叉烏(シチズン)様

聖徳太子によって建てられたと伝えられる
平野の町の発祥の地と言われているお寺です。
‘あなたはどこへ行くか 極楽度・地獄度チェック’は試してみる価値あり!
堂内正面には閻魔大王様が鎮座され、恐ろしい姿の脱衣婆と、
マッチョな鬼と裁判官が待ち構えております。
庭には地獄の釜の音が聞こえる石の穴や
「ほとけのくに」と呼ばれる冥想場所、
駄菓子屋さん博物館もあり。




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〜看板より〜
お寺からのおねがい!
この地獄堂は、子供たちに「悪いことをしないこと」と
「自分のいのちを大切にすること」を教えるために開いたものです。
お父さん、お母さん、むやみに子供に恐怖心を与えて言うことを
聞かせるための材料にしないで下さい。こわいエンマさまの姿は
本来はお地蔵さまのやさしい慈悲の心のあらわれなのです。
この機会に子供たちと「いのちの大切さ」について
もう一度話しあって下さい。

抗全神社

大阪市平野区
【探索日】2003年6月

案内人:夜叉烏(シチズン)様

この日最後の散策地、抗全神社。
こちらも歴史がある神社です。
ちょうどお祭りの準備中で
境内には大勢人がいらっしゃいました。




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九世紀、平安時代の初め、平野郷の
守護神として第一殿が奉祀されたのが始まりと
云われているそうです。
古来、朝野の崇拝厚く、特に中世、平野郷が
堺と並んで栄えた頃は、社運隆盛を極めた。
大門は鎌倉時代の作で、第ニ・三殿は
大阪市内最古の建造物で重要文化財に指定されている。





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御神木として祀られている大きな木…
苔むしています。樹齢はどのくらいなのでしょう?





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鎌倉時代の作の大門。




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さらに立派な社、参拝者が続々訪れています。




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境内の一角に結界が…




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小さな祠も祀られています。




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立派ないちょうの木
この御神木は垂乳根公孫樹と云われ
昔から「おちち」の神として信心されてきた木です。
高さ18.1m 幹回り4.8m




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本社。横に長いんですね〜




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参道途中にあった田村社。
時期が時期だけに、やぶ蚊が群がってくる(汗)




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何か後ろで視線を感じると思ったら牛の石像が…

〜熊野牛王宝印の護符〜
牛王宝印の護符は、昔から霊験あらたかな厄除けの
お守りとして、授与されて来ました。
中世以降は起請文の用紙として用いられるようになりました。
護符の裏にお互いに誓いの事柄を書き並べ、
もしこの誓いを破った場合は、神罰を受ける覚悟があるとして、
署名血判したものです。商人達の商売上の約束事や
男女の契りの誓い等様々な事柄に、神様を証人として
契約を交わしたそうです。

夜叉烏(シチズン)様ご案内いただきありがとうございました。
次回はいよいよ関西スポット巡り…

鉄輪ノ井

京都府京都市
【探索日】2003年2月

‘丑ノ刻詣り’をした女が呪詛の満願を果たせぬまま
この井戸で力尽き、それ以来「鉄輪ノ井」と呼ばれるようになった。
「縁切り井戸」とも云われ、井戸水を相手に飲ませると
悪縁が切れるとも伝えられています。




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情報をいただいて訪れた場所に建っていた石碑。
この場所は夕顔町で、源氏物語ゆかりの場所です。




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夕顔町の町並み。




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しばらく歩くと民家の軒先きに「謡曲像示 鐵輪跡」を発見。
門にはしめ縄がされています。
「鉄輪ノ井」は民家の敷地内に位置し、ここの住人のご好意により
解放されていると言うことです。住人の方に挨拶をして中へ。




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〜鉄輪ノ井の由来〜
謠曲「鉄輪」は男に市井の女が、貴船へ‘丑ノ刻詣り’を
して相手の男と、その後妻を祈り殺そうとする話が
骨子になっていますが、この井戸は‘鉄輪の女’が
住んでいたところのものだといい、一説には身投げをした
井戸ともいわれています。このような伝説から
「縁切り井戸」として、井水を汲んで相手に飲ませると
悪縁が切れるなどの俗信がありました。昭和十年には
「霊井」となっています。なお、かつては鉄輪できずかれた
塚があったということです。
謠曲史跡保存会




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こちらが「鉄輪ノ井」心無しか重い空気が…




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鉄の網で覆われた井戸。覗いてみましたが、
奥までは見えませんでした。
現在、井戸水を飲ませる相手がいないため、
お賽銭をあげ、ここを後にしました。

晴明神社

京都府京都市
【探索日】2003年2月

日本を代表する陰陽道の安倍晴明を祀った神社。
一時期のブームは去ったとは言え、今でも参拝する
人達が全国から大勢押し掛けているそうです。




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〜案内看板より〜
天文博士安倍晴明を祀っている。
晴明は朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条の
六朝に仕え、天文学に通じ移りゆく星をみて宮中の
変革・遠国の吉凶を判断したといわれ、一条天皇の
時に天文博士となった。寛弘二年(1005年)なくなったが
その後、一条天皇によって晴明の邸址に当社が創立された。
晴明の邸は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は
中立売の各通りに及ぶ広大なものであったが、これを
社城とした当社も、その後たびたびの戦火によって衰えた
ままであったのを、近年晴明九町組を中心とする崇拝者に
よって復興され、年をおって現在の規模になった。
京都市




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大鳥居をくぐると…なにやら置かれていました。
旧「一条戻橋」
この欄干親柱は、大正十一年から平成七年まで
実際に使用されていたものです。
御祭安倍晴明公ともゆかり深い橋ゆえ、
境内に復元しました。現在の戻橋は、神社から南へ
百米の処に架かっています。




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さらに進むとまた鳥居が立っています。
真新しい塀で囲まれ神社内は木の香りがしました。




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こちらが本殿です。
都の鬼門に当たる位置に建っていたため、
御所を守護する意味があったとされています。




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本家の晴明神社にも「晴明井戸」と呼ばれる井戸があるそうで
塀の隙間から探し出しました。この井戸の水はどんな病気にも
効果があるので「晴明水」と呼ばれているそうです。

鵺池・鵺大明神

京都府京都市
【探索日】2003年2月

平安時代の仁平三年(1153年)『鵺:ぬえ』と呼ばれる
頭が猿、胴が狸、尻尾が蛇、手足が虎の姿をした妖怪が現れ、
都を恐怖に陥れた。朝廷に退治を命じられた源頼政が
丑の刻(午前二時頃)に御殿の上を覆う黒雲に矢を射ると
鵺が空より落ちてきて、見事退治したと伝えられています。




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京都の二条城の北に児童公園の敷地内に、
鵺が落ちた場所があります。馬蹄形をしたここが鵺池。
水は抜かれていて一見砂場の様な感じが…
鵺を射った矢を、源頼政が洗った場所と云われています。




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もう少しわかりやすく撮影。
池はコンクリートで固められていました。




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鵺池の中央に立つ石碑。
文字が刻まれている様でしたが読めません…




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こちらが鵺を祀った社。
人々は退治された鵺を神様として祀ったそうです。




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鵺池の碑。全て漢文で判読できませんが、
伝説が刻まれているとか…
ちなみに鵺の亡骸は、船で流され芦屋に流れ着き、
祟りを恐れた村びとによって、塚に葬られたそうです。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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