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慈眼山 清水寺

長野県東筑摩郡山形村
【探索日】2003年7月

京都にある清水寺。そのルーツがここ長野にある。
真言密教の祈願寺で檀家をもたない。松本平最古と
される石の仁王尊や、高遠石工作の三重塔、仁王門
から山門まで、百体におよぶ回国観音像などが
山形村文化財として大切に保管されています。


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出張先で京都の清水寺のルーツがこの場所にあると聞き、
早速訪れました。始めに目にしたのは、
清水の舞台を模写して造った展望休憩所でした。






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山門手前に建っている仁王門。
まだ新しい感じがします。





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松本平最古とされる石の仁王尊。
口を開けた金剛力士(阿形)





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口を閉じた金剛力士(吽形)
ともに苔むして年月を感じます。





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奥に見えるのが山門。その参道には
回国観音像が、参拝者を静かに
見守っていらっしゃいます。





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清水寺本堂。かなり小さく思えましたが、
長い歴史を感じさせてくれます。





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〜案内看板より抜粋〜
寺伝によれば清水寺は、天平元年(729年)春、釋行基が
この地に廻ってこられ自ら千手観音を彫って安置し
創建された寺である。その後、延暦年間(782〜806年)
(一説によると大同ニ年(807年)とも言う。)に
征夷大将軍坂上田村麻呂が、妖鬼追討の祈願をし
その霊験に感謝して御本尊を都に移し申し上げ
京都東山に清水寺を建立して安置したという…





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山形村指定文化財「三重塔」と「地蔵菩薩」を示す立て看板。





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菩薩堂(位牌堂)の内に本当に沢山の位牌。
中心に厨子があり、その中に安置されているはずが…
留守のようでした。





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菩薩堂(位牌堂)の外に三重塔は立っています。
とても静かな山の中腹に建つ清水寺。
忙しい仕事の合間に、とても心が和むものを
拝見させて頂きました。
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八王子城跡

東京都八王子市
【探索日】2002年2月10日〜11日

八王子城趾“夜間”完全制覇 御一行様!!
「てふてふ dai様」「異界への招待状 やっくん様」「LIKE A CHILD megu様」

関東で有名な八王子城趾。
今回初めての八王子城趾で、無謀にも夜の探索…
夜の10時、高尾駅前に集合し、やっくんさんの車で出発!
駐車場に着くと先客が…ここは肝試しデートスポットだそうです。


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八王子城趾の案内図。
ストロボが強すぎて飛んでしまっています…





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雪が積もっている道を進むと、
御主殿に通じる大きな橋が現れます。





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橋の入り口から撮影…何か中央部から向こう側は
別な世界のような感覚に陥ります。





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渡り終えて、後ろを写してみたら白い靄が!
最後尾を歩いていたので、誰かの息ではないはず…





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御主殿入口の門。
テレビでよく見る光景なのですごく感動してしまいました。





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門から、いま登ってきた階段を撮影。
明かりが全く無いので真っ暗です。





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滝の傍に祀られている石碑と卒塔婆。
ここからでは滝が見えませんでした。





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先程の橋の下を通過したので、写してみました。





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石仏(観音様)が道の両脇に沢山佇んでいます。
駐車場に到着し、一息付いていよいよ本丸跡へ登山開始。





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八王子城自然公園入口の鳥居。
ここの横から入山します。





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山登り途中の石碑です。





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まだまだ続く上り坂!
辺りは物音一つしない闇の世界。





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八王子神社に到着!!無人の神社はとっても無気味。
はり紙には、賽銭箱は撤去したと書かれていました。





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八王子神社の横から撮影。





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見晴台にある一際大きな石碑。ここでひとときの休憩。
麓の方からは悲鳴やら笑い声が…来客がひっきりなしの様子です。





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小宮曲輪に建つ社。





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小宮曲輪を示す標識。





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本丸趾の下にある汲み上げ式井戸。
飲んでみましたがかなり美味しいです。





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アップダウンの山道をしばらく歩くと馬冷えを示す
石碑がありました。小さいので見落としそうです…





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馬冷えから30分ほど進むと最終目的地の天守閣趾に到着!
万歳!!時計を見たら、ちょうど日付けが変わったところでした。

帰り道、下り坂をコケながら駐車場へ着くとテレビの収録をしていました。
目付きの悪い(睨まれた!)スタッフの中で、女性タレントが
はしゃいでいたのが印象的…罰当たらんのかな?

地蔵峠

群馬県松井田町〜倉渕村
【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様


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すっかり闇に覆われた峠道。行き交う車も全くありません。
外灯もない真っ暗闇…看板でもあればと思い探してる途中です。





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道の脇の小高い場所に石碑とお地蔵様が現れました。
二人で「?」を頭に浮かべて近くまで登ってみます。






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〜石碑文章より〜
殉難碑
勘定奉行小栗忠順(※1)家臣塚本真彦(※2)の母ミツ、
娘チカ(八才)この地に近き谷合に殉難す
両女は慶応四年(1868年)四月六日、権田村における西軍暴挙の
難を避けたるも、七日市藩へ逃れる為地蔵峠を目ざしたるも
山中に道を失い遂に力尽き、同八日この地に近き谷間において
自害せり。遠く悲しき歴史に思いを馳せこの地に祈念碑を建て
永くその霊を悼む。
〜ほととぎす 鳴き来た山や 雨の神〜
昭和五十七年四月 建之
倉渕村小栗上野介顕彰会


(※1)小栗家は代々徳川家に仕え関東に大きな禄高を持つ
名旗本だった。万延元年(1860年)に遣米使節として
10ケ月間かけて世界を一周した。幕府から「帰農願」の
許可を得て、領地の権田村(倉渕村)に移り住み、
家族と共に過ごしていたが、明治新政府により一方的に
処刑された。『偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる』
と云われている。
(※2)塚本真彦は従者として遣米使節に加わったが
小栗上野介とともに烏川河原にて処刑された。

石碑の裏には小さな祠が奉られていた。






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大きいお地蔵様は母、小さい方は娘。
手を合わせこの地を後にしました。

松代大本営跡

長野県松代市
【探索日】2004年8月

松代市に残されている総延長5853.6mに及ぶ大地下壕。
大戦末期、大本営を松代に移し本土決戦に備えたもの。
土地は強制収用、近隣住人・朝鮮人・中国人の男女・大人子供を問わず
強制労働に従事させ、過酷な掘削作業を終戦の日まで続けさせた…


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住宅地の山肌に象山地下壕の入口があります。
地下壕の見取り図。色の付いている部分(519m)のみ
見学が可能です。閉鎖時間は必ず守りましょう。





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〜案内看板より〜
松代象山地下壕
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、
極秘のうちに大本営・政府各省等をこの地へ移すという
計画のもとに、昭和19年11月11日11時着工、翌20年8月15日の
終戦の日まで、およそ9ヶ月の間に当時の金額で2億円の巨費と
延300万人の住人及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に
動員され突貫工事をもって構築したもので全行程の75%完成した。
ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、
海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られているとおり
要害の地である。松代地下大本営は舞鶴山(現:気象庁地震観測所)
を中心とした皆神山、象山に碁盤の目の如くくり抜き、その延長は
10km余りに及ぶ大地下壕である。





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壕内に入るにはヘルメット着用(常設)
扉が付いたのは安全の為です。
壕内は住み着くには最適な環境だとか…





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壕内は電球が灯されていますが薄暗く
崩落の危険があるのか補強されています。





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金網の前に看板が…
削岩機ロッド
削岩機はコンプレッサーから送られる圧縮空気を操作する
搾手部と、回転する鉄棒のロッド部と、その先端についた
岩を砕くビットから成っている。
当時は削岩機により岩に穴を開け、そこにダイナマイトを
仕掛け破砕した。この時抜けなくなったロッドが壕内に
数本ある。なお、削岩機のロッドによる穴跡は壁面に
無数に残っている。





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こちらが天井に残されている削岩機ロッド。
過酷な労働を物語る、物言わぬ歴史の証人です。





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整地された壕内はまだまだ続いています。





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金網に閉ざされた枝別れした壕内の様子。
かなりガスッています。





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別の場所です。幾つも枝別れしています。





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L字になった場所。





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金網の向こうには微かに外光が差し込んでいました。





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まだまだ先に続いています。





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こちらにはトロッコの跡が残されています。
壕内で掘った石屑(ズリ)をトロッコに乗せ
壕外に搬出させた跡だそうです。
主に子供が手押し4輪台車を動かし逃げないよう
兵隊や監視員が4人、取り囲むようにしていたとか。





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壕内に残されていた労働者の落書き。
主に外国人が残したようです。





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こちらはイラストでしょうか…
過酷な労働の合間にささやかな抵抗だったのか。





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トロッコ枕木の跡がハッキリ見える場所も。





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さらに奥へ進んでいきます。





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ここが見学コースの最終のようです。





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当時の補強用丸太が残されています。





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測点跡だそうです。





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岩が転がった壕内。





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一番奥の金網には地元などの子供達の
千羽鶴やメッセージが捧げられていました。





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切ない気持ちになって来ました。
来た道を戻ります。





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外の空気が入ってくる場所まで来ました。
壕内は息が詰まりそうなくらいの雰囲気です。





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外光が懐かしく思えます…やっと出口に来ました。





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見学は終了しました。入口横に不戦の誓いの石碑が…





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最後に強制労働で亡くなられた外国人強制労働者の
慰霊碑に手を合わせます。終戦時、軍部が名簿を焼却したため
実際の労働人数及び死者数は把握出来ないそうです。


帰り際、受付の女性から当時のお話を沢山教えていただきました。
壕内作業中、胸に大火傷をして運び出された外国人の女性。
たぶん亡くなられたのでしょう…今でもその時の悲鳴が耳に
残っているそうです。なにもしてあげられなかった後悔の気持ちと共に…
そして怪我をしても医療設備がなかったため、近所の家で手当てを受けた
子供達の話。戦後まもなく壕内の資材を強奪した人々。
二度とこのような悲惨な出来事を、繰り返さないで欲しいです。

観光で訪れた団体客が壕内で暴れ、破壊や糞尿をまき散らす…
モラルの全く無い連中は来ないで欲しい!そんな言葉が
心に深く突き刺さりました。

長徳山 妙行寺

東京都豊島区西巣鴨
【探索日】2003年9月

案内人:「冥帝文庫」逸匠冥帝様

「東海道四谷怪談」で有名なお岩様が
明治42年に移転したお寺です。
他にも境内には、都内全鰻商の菩提心により建てられた
うなぎ供養塔や、魚がしで犠牲になった生類の
魚がし供養塔も建っている。



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東京探索の途中案内された妙行寺。
ここのには「東海道四谷怪談」のお岩様の
お墓があるそうです。
石造りの立派な門構え。訪れる人も大勢いました。





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墓地の一番奥に鳥居が建てられています。

〜由来案内看板より〜
お岩様が、夫伊右衛門との折り合い悪く
病身となられて、その後亡くなったのが
寛永十三年二月二十二日であり爾来、
田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、
菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳に
より、一切の因縁が取り除かれた。
この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に
移転した。お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず
願い事が成就すると多くの信者の語るところである。





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奥に見える石塔がお岩様のお墓。
手前には浅野家の墓所があります。





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失礼のないように慎重にお墓に歩み寄ります。





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卒塔婆の数は凄いものです。
写真を撮影させて下さいと、お願いをし
失礼に無い様、早々に墓所を後にしました。

虹の大橋

神奈川県宮ヶ瀬湖

【探索日】2005年3月

次にご案内されたのが宮ヶ瀬湖に架かる「虹の大橋」
関東でも有名なスポットとして一度は来てみたいと
思っていた場所です。時間の都合上昼間の探索。


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駐車場に車を停めてみんなで橋を眺めます。
昼間ですからね…他サイト様では余り見ない光景です。
※このスポットは夜に訪れるのが定番らしい;





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かなりの高さ。。橋の長さも330mと長いです。





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プレートを撮って次に橋をちょっと渡ってみます。





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乗り越えられないように金網が…
不審者で通報されないうちに写します。





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行き交う車の合間を見て中央撮り(マネはしないで下さいね;)
フェンスには「虹の大橋」らしく虹のイラストが描かれていました。





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足元を見ると…橋100選に選ばれているようです。





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美しい宮ヶ瀬湖の風景。






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最後に駐車場から撮って「虹の大橋」を後にしました。

正丸峠

埼玉県飯能市〜入間郡名栗村

【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様

トンネルが開通し、峠を越える道は旧道となった。
この旧道では霊現象が後を絶たないそうです。
噂は、昭和初期に自殺者がでてその霊が出る。
写真を撮ると昼間でも浮遊霊が写る。
女性の声が聞こえる。
夜中に女性が佇んでいて、無視して通過すると
後部座席に乗られる。母子の霊が現れ、
幼女が飛び出し事故を誘発する。
真夜中に花嫁行列が目撃されて、
見たものは事故を起こすなどなど。


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北関東進出二日目、やっくん様のご案内で合同探索スタート!
高速道路を使いまずは埼玉県北部の正丸峠。
全長1918mのトンネルを通過、旧道の入口から山へ





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雪が積っていて日陰はアイスバーンに…





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峠の途中からの眺望。素晴らしい絶景!!
空気が澄んでいて遠くまで見渡せます。。





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細い道を登り切った峠の頂上。
すぐ向いに営業中のお店があります。





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峠から下る道…山陰なので全面凍結(汗)





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峠の廃屋。スポット化したようで
外側が落書きに覆われています。





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穴が開いていたので中の様子をちょっとだけ…
一見すると食堂だったように思われます。





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荷物が散乱しているように見えますけど…
倉庫として使われているのか。。





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営業中の店の従業員の目を気にしながら
最後に全体を撮って車に乗り込みます。





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峠を下り切って本道に合流する場所に到着しました。





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…で、今下ってきた峠の道。冬は走り屋は来ないでしょ?
と思ったら、雪装備を完璧にした連中がバトルを
繰り返しているとか(滝汗;)





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信号機がある方のトンネル口を撮影して終了。
ちなみに霊の出没はトンネル内でもあるそうで、
憑依系だそうです。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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