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宇津乃火薬庫跡(後編)

栃木県足尾町
【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様

足尾銅山の掘削に必要なダイナマイトを貯蔵した建物。
火薬庫が造られたのは明治42年頃。当時使われた
ダイナマイトの大きさは、直径32mm、長さ200mm、
重さ250g。多い時では年間130tが掘削のために使用
されたそうだが、小滝坑が閉坑になった昭和29年に閉鎖された。



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三番目の倉庫に移動します。
こちらはかろうじて屋根が残されています。




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雪の重みで倒壊したのでしょう…




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それでは入口から失礼いたします。




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トンネルの水抜き用の溝です。




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こちらの天井はコンクリートが剥がれて
鉄筋がむき出しになっていました。




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三番倉庫到着です。足元には屋根の残骸などが
散乱していて歩きつらい状態です。




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屋根から植物に侵食されています。




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部屋の奥には、凍結防止用の
スチーム暖房が残されていました。




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配管をたどって縁の下を覗き込んだところです。




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トンネルを抜けて、最後の倉庫に向かいます。




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最後の四番倉庫です。
こちらは煉瓦造りでモダンです。




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屋根はありませんがとても好きな建物です。




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では最後のトンネルに突入!




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差し込む光と枯れ葉のコントラストがとても美しい。




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入口部分には二重扉が残っています。




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頑丈な鉄格子。




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中の様子ですが…屋根の残骸と雪が積もっていました。




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反対側は、煉瓦が苔むしています。




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縁の下の様子。




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最後に煉瓦壁にお別れを言って火薬庫を後にしました。

今回は雪の積もる真冬に訪れましたが、
この場所は、春は新緑、秋は紅葉と見事な美しさだそうです。
またその季節に絶対訪れたいと思いました。
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宇津乃火薬庫跡(前編)

栃木県足尾町
【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様

足尾銅山の掘削に必要なダイナマイトを貯蔵した建物。
火薬庫が造られたのは明治42年頃。当時使われた
ダイナマイトの大きさは、直径32mm、長さ200mm、
重さ250g。多い時では年間130tが掘削のために使用
されたそうだが、小滝坑が閉坑になった昭和29年に閉鎖された。




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鉄索隧道の探索を終えて、本山へ向かう途中に案内された火薬庫跡。
写真を拝見して是非訪れたかった場所です。
車を停めて山道を歩き出すと門が見えて来ます。




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見張り所跡です。当時はここで火薬の出し入れを
厳重に見張っていたようです。




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門を越えておじゃまします。
今は誰もいらっしゃらないようです。




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勾配がきつい砂利道を、ひたすらジグザグに登って行きます。




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途中の広場。ここにも建物があったのでしょう。
今は雪が積もって何も見えない真っ白な雪景色。




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山の中腹に煉瓦造りの塀が見えて来ました。
ダイナマイトの点火に欠かせない雷管倉庫です。




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塀の上には日本猿の群れがこちらを警戒しています。




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入口に到着しました。煉瓦が分厚く積まれています。
厚さは1mあると思われます。




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塀の中の建物は…長い年月のため崩壊していました。




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山道をさらに進むと地面に穴が掘られ、
その中に石造りの倉庫が残されています。




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木造であったであろう屋根は抜け落ちて
石造りの部分だけが残されていました。




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一番目の倉庫の入口内扉です。




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順番を変えまして一番倉庫から見て行きます。
外扉はコンクリート製で頑丈です。




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トンネルを抜けて内扉から一番倉庫の前に出ました。




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入口から中を覗いてみます。




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割りと荒削りですが…こんな造り良いですね。




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トンネルを戻ります。枯れ葉の絨毯になってます。




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火薬庫前の100mも続く道路。




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一番倉庫の横に移動すると、ニ番目の倉庫があります。
こちらは倍以上の大きさです。




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それでは二番倉庫に入ってみましょう。
トンネルには枯れ葉の絨毯がひかれていますが、
水抜き用の溝が隠されています。




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石積みと鉄筋コンクリート製の天井。




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二番倉庫到着。御影石造りで外見はとても美しいです。




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中の様子…木が生えていてクリスマスツリーのようにも…




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壁越しに山々が見えます。周りでは猿の集団が
威嚇のためか吠えまくっています。




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反対側の様子。普通に林になってます。




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窓の鉄格子と木枠は残されていました。




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トンネルを抜けて外扉から…
美しい小滝の山が目の当たりに。。


【後編に続く】

足尾銅山本山編(後編)

栃木県足尾町

【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様
 
〜足尾銅山案内看板より〜
足尾銅山は、慶長15年(1610年)に発見され明治になるまで
幕府の御用銅を生産し続けました。
本当に足尾が発展したのは、明治10年(1877年)に銅山経営が
古河市兵衛になってからです。明治17年に大鉱脈が発見され、
さらに近代技術を導入した結果、相次いで鉱脈がみつかり
銅の生産量が増えると共に人口も増え、大正5年には
38,428人という当時の栃木県では、宇都宮市に次いで2番目に
多い人口の町となり、銅山社宅が次々とつくられました。
大正になると足尾鉄道(現在の「わたらせ渓谷鉄道」)が開通し
粗銅の運搬を鉄道で行えるようになり、足尾銅山は隆盛を誇りました。
しかし、戦後の足尾銅山は経営の合理化、自山産銅の減少により
人口も減り続け過疎化に拍車がかかりました。そして昭和48年2月、
足尾銅山は鉱源の枯渇、コスト高、採掘条件の悪化等を理由に
採鉱部門を廃止し実質上の閉山となりましたが、製媒部門は
外国からの輸入鉱石をつかって、現在も操業を続けています。
環境庁・栃木県




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深沢社宅跡で一番大きな集会所跡。中庭から失礼します。




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昔はここに集まり会合が行なわれていた事でしょう。




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床が抜け落ちておじゃま出来ませんでした。




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庭に残されていた年代物のオートバイ。




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別の建物も数軒ありましたが、近年の大雨と大雪で倒壊して
かなりの建物が撤去されたようです。




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共同住宅…もう生活の音は聞こえる事はないでしょう。




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奥様達の井戸端会議も開かれていたのでしょうね。




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メインストリート(?)人の気配はまったくありません。





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蔦に支配された階段?と思ったら滑り台。




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子供が遊ぶ事がない公園。




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神様を祀った石碑。




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子供達が元気に走り回っていた路地。




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赤レンガ造りの壁が時代を感じさせてくれました。




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少し移動して、足尾鉄道跡の見学です。
橋の上から見たトンネル。時間の都合上突入は次回に…




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踏切りから線路沿いに歩いて散策する事にしました。




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レールが残されているのは廃線ではなく休線扱い
だからだそうです。廃線からの復活は手続きが大変とか。。




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土砂崩れ箇所;




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まだまだ続く線路…やっぱり歌ってしまうのは
「線路は続く〜よどーこまでも〜♪




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で、歌いながら住宅裏を歩いていると…ガチャ!!
上を見上げると、ちゃんちゃんこ着たおっちゃんが
ライフル構えていた(硬直)歌が下手だったか;
おっちゃん曰く「あれ?猿と間違えた悪い悪い♪」
「…こんな愛らしい猿がいるか!!」内心かなりドキドキ
※突然の出来事のため写真は撮れませんでしたm(__)m




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ドキドキしながら鉄道設備を忘れずに撮影。




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やっと目的の駅が見えて来ました。




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ここにも標識。




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今歩いて来た鉄道の様子です。




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現役のわたらせ鉄道と旧足尾線の境ですね…




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わたらせ鉄道の電車が駅で待機しています。




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〜案内板より〜
旅客終着の間藤(まとう)駅
足尾線は私鉄により開設され、この駅は大正3年(1914年)11月1日
に営業を開始した。時あたかも足尾銅山全盛期であり、鉄道は物資の
輸送増強に必要であった。同7年に国鉄に移った。しかし、
昭和62年(1987年)に全町民の猛烈な反対も空しく、赤字のより
廃止されJRに移った。平成元年(1989年)から第3セクター
「わたらせ渓谷鉄道」として出発した。その間、昭和45年に無人化
(最高時18人)され淋しい駅となったが、平成6年に陶芸教室と
合築し「カモシカの見られる駅」として新装され注目されている。
足尾町




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電車に手を振ってお別れをして第一次足尾銅山探索を終了。
この地区全てを見て回るのは最低3日間は必要との事。
次回は泊まり掛けで来ますよ!必ず!!

足尾銅山本山編(前編)

栃木県足尾町

【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様
 
〜足尾銅山案内看板より〜
足尾銅山は、慶長15年(1610年)に発見され明治になるまで
幕府の御用銅を生産し続けました。
本当に足尾が発展したのは、明治10年(1877年)に銅山経営が
古河市兵衛になってからです。明治17年に大鉱脈が発見され、
さらに近代技術を導入した結果、相次いで鉱脈がみつかり
銅の生産量が増えると共に人口も増え、大正5年には
38,428人という当時の栃木県では、宇都宮市に次いで2番目に
多い人口の町となり、銅山社宅が次々とつくられました。
大正になると足尾鉄道(現在の「わたらせ渓谷鉄道」)が開通し
粗銅の運搬を鉄道で行えるようになり、足尾銅山は隆盛を誇りました。
しかし、戦後の足尾銅山は経営の合理化、自山産銅の減少により
人口も減り続け過疎化に拍車がかかりました。そして昭和48年2月、
足尾銅山は鉱源の枯渇、コスト高、採掘条件の悪化等を理由に
採鉱部門を廃止し実質上の閉山となりましたが、製媒部門は
外国からの輸入鉱石をつかって、現在も操業を続けています。
環境庁・栃木県




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火薬庫を見学し、本山へ移動しました。
途中の赤レンガ造りの建物が残されています。
迎賓館だったそうです。




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残念ながら見学時間外だったので、
中を拝見する事ができませんでした。




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小川の対岸に見える建物は映画館の跡だそうです。




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こちらも厳重に封印されていて中には入れませんでした。




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車の入れない山道を歩いて登ると共同浴場の跡がありました。




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浴槽はコンクリート製。小さい方は女風呂かな?




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こちらは少し大きいので男風呂の様です。
わずかにタイルが残っています。




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風呂場のシンボルの大きな煙突が役目を
果たしたかのように横になっていました。




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さらに山道が続きます…ここからは一人で
山の上の神社を目指します。




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心細い中先行者の足跡発見!雪に足を取られながらも
先の見えない神社に向かいます。




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山道の脇には何やら建物跡が…




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社宅跡なのでしょうか?ほとんどが雪に埋もれ
確かめようがありません。




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道沿いに木造の建物、、ほぼ倒壊しています。




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上から見るとこんな感じ。雪の重みに耐えきれずに
崩壊したように見えます。




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中の様子…電線や家財道具が屋根に潰されています。




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入るのは危険なので外からの撮影。




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他にも数軒残されていますが…いずれ消えてしまうのでしょう。




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まだ続いているコンクリート製の建物跡。




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…で、音一つしない雪山の恐怖とどこまで登れば神社との不安で
恥ずかしながらUターン(涙)体力の限界が敗因。
先程くぐった鳥居が出迎えてくれました。




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山道を登る手前にあった大きな建物。農協だったとか。




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シャッターは閉じていますが、そこかしこに穴が開いています。




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中の様子を拝見。天井にも大きな穴が開いています。
物置きとしても使われていたのでしょう。




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ガラスは長い年月で跡形もありません。




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窓から覗いてみると…机とイスがあります。




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その奥の様子です。比較的綺麗でした。




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トンネル工事用の機材でしょうか?
ここで場所を移動して社宅跡を見学です。




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深沢社宅跡を示す看板。最盛期には64世帯353人もの人々が
暮らしていたそうですが、平成8年(1996年)に無人に
なったそうです。


【後半へ続く】
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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