東池袋中央公園

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都豊島区



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池袋中央公園に行くには、先ずは東口から60階通り(サンシャイン通り)
を目指します。通りの出口に東急ハンズ池袋店が見えます。其処の脇に
サンシャインシティへ抜ける地下通路があります。
其処を使って東池袋中央公園に行けるルートが一つ。
もう一つのルートは、そのまま60階通りを通過し川越街道を渡るルートがあります。




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池袋のシンボルサンシャイン60。1978年(昭和53年)に完成しました。
完成して1997年までは飛降り自殺はありませんでした。
屋上には3メートルを超える柵と、監視カメラと監視員が見張ってましたが…
1998年(平成10年)8月23日の夕方に、病気で悩む女性が屋上から
飛降り自殺しました…東池袋中央公園はビルの真横に在ります。




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公園が出来る前は刑務所でした。
極東軍事裁判でA級戦犯の判決を受けた陸軍大将東条英機ら7名他、
BC級戦犯53名がこの地で処刑され、処刑を免れながらも
禁固刑を受けた戦犯者は、収容者1862名にのぼりました。
昭和33年5月30日に最後のBC戦犯者18名が釈放され、
ここに巣鴨プリズンの歴史は幕を閉じました。
因みに巣鴨刑務所が出来たのは明治28年に完成した巣鴨監獄が前身です。




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公園の入口から入りますと前方には噴水が見えます。
通説ではその噴水の辺りに処刑台が在ったとされてますが…
あの有名な霊能力者の寺尾玲子氏の霊視によれば、
左横の植込みの中にあったと霊視しました。
昼間はごく普通の公園です…夕方以降は噂スポットに変貌します。




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公園には慰霊碑があり、ぽつんと置かれてました。
慰霊碑の後の植込みには、昔五つ塚が存在してました。
(米軍が造った5つの絞首刑台跡(4つという記述も在る)
因みに従来の絞首刑台は地下垂下式という形態の物1台きりでしたが、
効率が悪い理由で複数の刑が同時に実行出来る地上懸垂式絞首台、
つまり十三階段を備えた新式の絞首刑台を新たに増設したのです。)

また公園及びサンシャインビルがある一体では沢山の噂が在ります。
1.慰霊碑に奇妙な影が写る。
2.慰霊碑近くで呻き声が聞こえる。
3.慰霊碑の近くで「ひゅう」と息を吸う様な音が聞こえ、
慰霊碑から地面にかけて長い人影が現れる。
4.ビル内で幽霊(兵士・軍人)や人玉が出る。
5.地下通路で歩いていると正装した兵隊が歩いている。
6.電波が届かない筈の地下通路に居ると、差出人不明のメールが入る。
内容は「死にたくない!」「大日本帝國万歳!!」などの
太平洋戦争時代の頃の心境めいた内容が大半。




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公園内を散策しました。慰霊碑には現在イラクに派遣された自衛官の
家族の方の手紙でしょうか…詳しくは読みませんでしたが…
切実な思いが書かれてました…
胸が痛む思いに成りました。無事に帰還する事を願いました。

以上東池袋中央公園レポートでした。

平将門首塚

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都千代田区大手町

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東京大手町に在る「平将門公の首塚」です。
道路が歩行者天国でしたので道路から撮影しました。




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首塚の入口です。ビルの谷間に在るぶん…ひんやりしてます。




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此れが平将門公の首塚です。
脇に奉納(?)されている蛙は地方に飛ばされた方が
「無事に戻れた」事に感謝して奉納
(管理する神田神社の許可無く)された物です。




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塚の後は燈篭です。
常に参拝者が絶えない場所です。
撮影した時も数名程が参拝してました。
何の目的でしょうか・・・?




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因みに此れが神田神社です。東京の下町に夏を告げる
「神田祭」有名ですねぇ。




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本殿です。此処も首塚同様に参拝者が絶えません。
平将門公と他の神様が祭神として祀られてます。
以上首塚と神田神社レポートでした。

廃カラオケ店

静岡県西部地区
【探索日】2012年5月

取り壊されました。

現役時代、出るカラオケ店として一部の人達には有名でした。

個室の外を行き交う黒い影。
ドアのガラスから覗く顔…
自分もリアルに体験しました;

あっ!そんな体験あったな!!
せっかくだから撮影しておこう!
閉店してから数年間放置されていたので
思い立って行ってみると・・・取壊し真っ最中;


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もっと早く思い立っていれば(ノ_・。)





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この狭い場所が受付け跡です。
精算待ちの時に、後ろに気配がしたり、
袖を引っ張られたりしました。






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後数日で取壊しが完了してしまいます。






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敷地の側面へ移動。
立地が大通り沿いなので突入はなし
この並びの奥が使用した個室。
とてもすえた臭いが漂っています。





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せっかくの物件
タイミングを逃してしまった・・・

足尾銅山小滝編

栃木県足尾町
【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様

〜小滝坑閉山前の“小滝”中心部のようす〜

足尾銅山の三山(坑)のひとつであった小滝の始まりは、
明治18年(1885年)に旧坑跡の開発に着手したところ、
すぐに富鉱を発見したので、翌年には選鉱所と製錬所を設け、
次いで坑夫飯場も各所に建て、道路を開削し馬車鉄道を通すなど
生産機能を拡大してからの事である。更に病院や学校も建て
町家が並ぶようにもなり、大正5年(1916年)の最盛期には
一万有余人の人口となった。その時の「商業家便覧」によると数軒の
料理屋や芸妓屋もあり、坑夫達の格好な場として賑わった事が
うかがえる。しかし、徐々に経営の合理化が進められ、
遂に小滝坑は昭和29年(1954年)に閉坑され銅山の施設は一挙に
撤収となり、小滝は僅か数戸を残し廃虚同然となった。
今は、昔日の夢の跡として「ここに小滝の里ありき」の
大石碑が建てられたが、苔むした石垣の上から
“山晴れ 水澄む 我等の小滝……”
の歌が坑夫の声高らかに聞こえてくるようである。
案内看板より





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足尾町に入りまず目指したのが小滝方面。
最初に案内されたのが古びた鉄製の橋。

〜案内看板より〜
【旧小滝橋】
明治20年に銅山便道として開削された小滝路に、
唯一残された鋼製の橋(長さ26.6m、巾3.05m)で
大正15年に架設された。
足尾町





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錆びてはいますが風格は充分にあります。





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反対側からも…





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当時は何トンもある銅がここを通って行ったのでしょう。





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旧小滝橋の袂にある坑口

〜案内看板より〜
足尾町指定史跡
【小滝坑跡】

明治十年(1877年)足尾銅山経営を始めた古河市兵衛は
小滝の旧坑(250m先までの掘止)を利用し、明治十八年
(1885年)七月にこの小滝坑を開坑しました。
明治二十六年十一月には本山坑(間隔3,003m)と貫通し、
次に立坑で通洞坑(間隔3,276m)とも連絡するようになり
備前楯山に向かって三坑から採鉱がすすめられました。
〜中略〜
当時の名残りを小滝坑と前岸の削岩機練習のノミ跡に
とどめています。小滝坑の小坑は、旧坑の一つです。
足尾町教育委員会





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鍵がかけられて中の様子は見る事が出来ません。





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道を挟んで反対側の山の斜面に穴が開いています。
火薬庫跡のようです。





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〜案内看板より〜
【旧小滝火薬庫跡】

足尾銅山では明治14年から火薬を使って採鉱していた。
この火薬庫は明治40年頃まで使用されていたと思われる。
足尾町





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火薬庫の前には水を溜めておく
貯水槽があります。





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中の様子です。赤レンガの隔壁が残され
お地蔵様が祀られています。




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さらに奥へ進むと慰霊塔が建っている
と言う事でそちらへ向かいます。
雪に埋もれた慰霊碑。




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〜案内看板より〜
【中国人殉難烈士慰霊塔】
太平洋戦争の末期、中国から来た257名が
足尾銅山の労働に従事し109名が殉難された。
足尾町




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階段を上ると慰霊塔が建っています。




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中国人殉難烈士慰霊塔




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側面からも…手を合わせ御冥福を祈りました。




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山の斜面にあった祠に祀られていた山神様。




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一度山を下り建物があったであろう場所へ立ち寄ります。
現在位置を示す看板。この付近には多くの建物が建っていたはずですが
その多くは廃虚となり長い時間を経て消えていってしまいました。




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石垣だけが残る選鉱山跡。




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橋の向こうには事務所や賭所(食堂)があったそうですが
今は石垣だけが残されています。




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レンガと切り出した石を組み合わせた見事な造り。




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こちらの石垣も綺麗に積み上げられています。




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排水溝?ちょっとのぞいてみました…




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事務所へ向かう石段。




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レンガと石垣のイメージカット。




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高い所に上って写した学校跡です。




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ここからはやっくん様から頂いた写真です。
山の斜面に残された校門への入口の階段。




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門柱か、それとも銅像の台座が立っています。




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おそらくここが学校跡地です。




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さらに広がる跡地です。




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小滝を去る前に立ち寄った場所。もう一つの慰霊碑が
あるそうです。これは入口に立っている道祖神。




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足尾朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑です。




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中国人殉難者とのあまりにも大きな違い…
空気が重く手を合わせ早々に立ち去りました。
この奥には火葬場跡もあったようですが、
とても先へ進む事はできませんでした。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
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5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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