王子稲荷

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都北区


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関東の稲荷神社の本山の王子稲荷神社。
見えます鳥居は、江戸時代に寄進されたものです。




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落語の「王子の狐」の舞台に成った地でもあります。
境内で見つけました「笑う狐石像」です。




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石段を登りますと、江戸幕府が建設した豪華絢爛たる
社殿が本殿ですが…本当はこの「狐様が実際に住んでいた」
御穴が本殿なのです…奥へと追い遣られてました。
御穴は崖沿いに在ります。




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此れが狐様が住んで居たとされる御穴です。
この穴には怖い伝説が有りまして・・
「穴を弄ると王子は水没する」という言伝えがあります。
資料では・・・江戸時代の慶安三年頃、王子村の弥兵衛が
この穴を穿ったら、その夜から大雨が降り、荒川が氾濫し
王子一体を水没させたと記されてます。
現に王子駅の地下を走ります「東京メトロ・南北線」の
王子駅はいたる所で水が漏水してます。
近くには「音無し川」も流れてます。

以上王子稲荷神社レポートでした。

土浦武器学校展示場(後編)

レポ提供:ヴラド魔王様

茨城県土浦市陸上自衛隊土浦駐屯地内

今回は茨城県土浦にあります陸上自衛隊土浦駐屯地内の
「土浦武器学校展示場」に行きました。
世界で1台しかない『三式中戦車』に是非とも会いたいからです。


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これが世界で1台しかない『三式中戦車』です。
日本の戦車と言えば九七式中戦車(チハ)チハタンや一式中戦車(チヘ)が有名ですね。
三式中戦車は本土決戦用として急遽開発された戦車です。




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『三式中戦車』
全長5.73m 全幅2.33m 最大装甲50mm(ドイツ3号J型並みの装甲)
重量18.8t 最大速度38.8km/h 乗員5名 航続距離210km
【武装】75mm砲×1 7.7mm機銃×1




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昭和18年(1943年)から太平洋での戦場に登場したのがM4シャーマン戦車でした。
戦車開発を怠っていた陸軍は、既にある一式戦車の車体を流用し、90式野砲を改造した
三式七糎半戦車砲2型を搭載しました。昭和19年9月に試作車完成。12月には量産に移行しました。
同年の生産数は55両。翌年20年には11両が完成しました。終戦までに110数両が生産されましたが、
一度も砲火を噴く事無く生涯を終えました・・・・・。




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90式野砲の威力は、初速680n/s 貫通力は100mで90mm 1000mで65mmでした。
500m以内なら、シャーマン戦車の装甲を撃ち抜く事が出来たのでした・・・・。





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横からみた三式中戦車チヌです。やはり大きさが違いますね!
すごい・・おっきいです!




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因みに三式中戦車の横の装甲はなんと20mmしかありません・・・・




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砲塔が大型したぶんエンジンが大きくなってますね。
しかし・・・これで本土決戦をする考えって・・・のはねぇ・・・。




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平たく言うと三式中戦車チヌはドイツ戦車で謂うと・・・・4号F2型でしょうかねぇ。
次の四式中戦車(長75mm砲・装甲75mm・30t)チトは5号パンダー戦車ですかねぇ。
最後の五式中(重)戦車(88mm砲・装甲75mm・37t)チリは6号ティーガー戦車1型でしょうか。
幻の超重戦車120t超重戦車オイ(105mm砲・装甲200mm・120t・なんと車体だけは完成してました!
技術者は素晴らしい!)はマウス戦車でしょうかねぇ。。。。





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現在、三式中戦車チヌは屋根付きの車庫に展示されてます!
是非とも鄭重な解説付きの施設内で展示してほしいと強く思いました!




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三式中戦車チヌの車輪です沢山ありますねー。
維持管理が難しいのが分かります・・・・・




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チヌの砲塔に接近しました。かなり大きいのが分かりますね。




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乗務員が乗る入口です。手のばして開けたいのはやまやまですが、自重しました。




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三式中戦車チヌの隣には本当は八九式中戦車があるはずでした。
『八九式中戦車』
全長5.75m 全幅2.18m 全高2.56m 最大装甲15mm
最大速度20km/h 乗員5名 移動距離140km
【武装】57mm砲×16.5機銃×2
昭和4年(1929年)に初めて国産戦車して登場しました。
イギリスが開発したヴィッカースMK.Cのコピーとも揶揄されました。
別名(鉄牛)とも言われてました・・・遅いのね・・。主に大陸(中国戦線)で活躍しました。
現在は自衛隊のどこかで完全修理中だそうです。いつの日かの基地公開イベントで動くそうです!
期待して待ちましょう!!!三式中戦車の完全修理も願いつつ!




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三式中戦車の隣にはなぜかロシアの有名な対戦車砲が展示されてました!
日本で見られるのもここだけかもしれません!




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これは『長45mm対戦車砲』です。
45mm口径 重量0.57t 貫通力95mで300mm

射程500mで42mmの装甲が貫通する程の威力がありました。
バロバッサ(赤髭)作戦で侵攻してきたナチスドイツ軍の戦車を
全て撃ち抜く事が出来たのでした。重量も軽く、ベルリンの戦いまで
ロシア軍と共に進みました。後期型ではなんと300mで140mmも貫通しました。




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後方です。さすがに初めてみる対戦車砲には感動しました!




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さてぇ隣にありますのは・・有名な対戦車砲である『76mm砲』です。
「別名ラッチェ・バム」砲弾が速く、発射音より命中音のほうが先に聞こえるという
厄介な名前をドイツからもらった兵器です。
あのT34/76型戦車と同じ口径の砲です。




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『76.2mm榴弾砲M1942』
口径76.2mm 重量1.57t 最大射程13.3m
貫通力1000mで61mm
大砲としてでも使用できるので万能砲でした。





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ここから迫って来るドイツ戦車を狙ったのでしょうね
…モスクワ…スターリングラード…クルスク…ベルリンとかで…(<●>ω<●>)/
榴弾砲であるぶん大きさが分かりますね!!




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ラッツェバムの後方です。リアルの本物に触れられて感動しました!!!(>ω<)/




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以上、土浦駐屯地訪問レポートを終了します。^−^ノ

土浦武器学校展示場(前編)

レポ提供:ヴラド魔王様

茨城県土浦市陸上自衛隊土浦駐屯地内

今回は茨城県土浦にあります陸上自衛隊土浦駐屯地内の
「土浦武器学校展示場」に行きました。
世界で1台しかない『三式中戦車』に是非とも会いたいからです。


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列車・バスに揺られる事約90分。陸上自衛隊土浦駐屯地に到着です。
歴史は古く、駐屯地は大正10年に海軍時航空術部水上班とい名称で
海軍水上機の発着場として開設されました。




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駐屯地に入るにはまず入口で申請。用紙に名前、住所等を書き込みます。
記入事項を全て書き終えますと、見学コースが印刷された地図とバッチが渡されます。




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バッチは必ず見える所に着けてから入るようお願いします。
もし、つけてないと警備する自衛官の方に止められます。(不審者として;)




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バッチをつけて中に入ります。広大な駐屯地。前方には霞ヶ浦が見えす。
まずは屋外展示兵器の見学。戦後米軍から支給された兵器や陸上自衛隊で
現役を終えた戦車、現在も活動中の戦闘車両
(おそらく外観のみ再現の張りぼてと思われます)が見学出来ます。




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これは『203mm(8in)榴弾砲M2』重量は13.47t、最大射程16.97km
1940年代に制式化された重砲です。ロングトムより射程は劣りますが破壊力は大きく、
攻撃や防護の最重要拠点に投入されました。有名な戦いでは1944年の欧州戦線の
アルデンヌ攻勢作戦(バルジの戦い)では、包囲されたフランスのバストーニュ防衛線で
迫るドイツ軍を撃退しました。陸上自衛隊に供与され1995年まで使用されてました。




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軽戦車の決定版『チャーフィー戦車』1943年3月から開発が始まりました。
名前はチャーフィーの由来は人物で、アメリカ軍戦車部隊の創設に功績があった
アドナ・R・チャーフィー将軍に因んだニックネームです。生産した企業は
あのGM(ゼネラルモーターズ)一員であるキャデラック社でした。
生産は1944年3月から始まり、実際に戦場デビューしたのはあのバルジの戦いでした。
参加数は約20両。初陣の戦果は無し。それどころか、初めて見た米兵から
「ドイツの新型戦車パンダー戦車だ!」と勘違いされ誤射される事件が起きる程でした。
そとため、後に「仔豹」とあだ名されました・・・・。
チャーフィー戦車は1945年8月に生産中止されるまでに4731両生産されました。
その後は朝鮮戦争に参加するものの・・・あのT34/85の攻撃には耐えられず
早々に戦場から消えて行きました・・・しかし1952年2月に在庫で残っていた
チャーフィー戦車400両が陸上自衛隊に供与されました。もともと日本国土侵攻作戦用に
開発された軽戦車でしたから、自衛隊員の中では非常に評価された戦車でした。^−^




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有名過ぎる『M4シャーマン戦車』連合軍の一員であるイギリス軍からも高く評価され
車体が流用されシャーマンファイヤフライなりましたが・・・余にも強い対戦車砲だったので
逆に米軍が逆にイギリス軍にファイヤフライの供与を求めた話もあるほどでした。
戦後は、特に中東でシャーマン戦車は活躍しました。そうイスラエルです。
祖国独立のために掻き集め集められた戦車にシャーマン戦車がありました。
車体が特に重宝され、上部の武装は他の国のを搭載しました(←よくかみ合ったものだな・・・・)
下部はシャーマン、上部はフランス製の長75mm砲を搭載したM50。
105mm砲搭載した(←勿論車体はシャーマン)M51(アイシャーマン)まで生産しました。
アラブ軍の主力でしたT62系戦車をも撃破するほどでした。
極めて拡張性のある戦車として世界的に評価された戦車でした。




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シャーマン戦車の隣にあるのは『M36駆逐戦車ジャクソン』
対戦車自走砲のカテゴリーに入る車両です。




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『M36駆逐戦車ジャクソン』
全長7.47m 全幅3.05m 全高3.19m 最大装甲76mm
重量29.03t 最大速度41.8km/h 航続距離249km 乗員5名
【武装】90mm砲×1 12.7機銃×1
欧州戦線でドイツの新型戦車(パンダー戦車)や、
重戦車(タイガー戦車1型2型)の登場により
撃破が難しくなってきた1944年6月。強力な90mm砲を搭載した
『M36』が登場しました。90mm砲は
1000m先の垂直装甲を貫通出来るために、タイガー戦車や
パンダー戦車を600mで撃破出来ました。
生産台数は2300両以上。戦後の朝鮮戦争では、重戦車の
「M26パーシング戦車」と一緒に北朝鮮軍と砲火を交えてます。




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戦後米軍から供与された車両群の次に陸上自衛隊の戦車が展示されています。




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『61式戦車』
(車体とエンジンは三菱重工製・高速90mm砲は日本製鋼所製)
全長8.19m 車体幅6.3m 全幅2.95m 全高3.16m 重量35t
最大装甲(推定110mm)
【武装】52口径90mmライフル砲×1 12.7機銃×1 7.62機銃×1
最高速度45km/h 乗員4名 航続距離200km

昭和36年(1961年)に登場した戦後初の国産戦車。デビュー当時はM47パットンのコピーと
揶揄されましたが、戦前の九七式中戦車を思わせるラインが残っています。1975年の退役までに
生産された台数は560両でした。現在はもぅ国内には存在してません。すべて退役しました。
ここにあるのは貴重な車両です。




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『74式戦車』
全長9.41m 車体幅6.70m 全幅3.18m 全高2.25m 最高速度53km/h
乗員4名 航続距離300km 最大装甲(非公開) 重量38t
【武装】51口径105mmライフル砲×1 12.7機銃×1 7.62機銃×1

61式戦車の隣にあるのは『74式戦車』です。別名「ナナヨシ」と謂われている戦車ですね。
今、日本国土を守る戦車の大半がこの74式戦車です。新型の90式戦車や新新型TK-Xは
まだまだ台数が少ない(←凄い価格だからねぇ。)ですからこの74式戦車が日本の主力戦車です。




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ナナヨシの隣には・・・そうあの戦車です。新型の『90式戦車』
外見はあのWW2の有名戦車ティーガー1型を彷彿とさせるスタイルをしてますね!




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『90式戦車』
全長9.80m 全幅3.40m 全高2.30m 登坂能力33.8°
最高速度70km/h 乗員3名 最大装甲(非公開機密) 重量50t
【武装】44口径120mm砲×1 12.7機銃×1 7.62機銃×1
航続距離350km
現在陸上自衛隊で最強の戦車です。世界の大国(米露英仏伊独中)が保有する
戦車と堂々と対峙できる戦車です。




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屋外に展示されてました車両全て見まして次は庭園の方へ。雄翔園と雄翔館があります。
ここには戦中、特攻出撃した陸海軍のパイロットの方を慰霊する場所になってました。




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ここが雄翔園です。奥には2体石像があります。
この地より出撃した方の思いを考えながら手を合せました。
(ー人ー)




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雄翔園の手前には『山本五十六元帥』の銅像がありました。
昭和18年(1943年)4月14日。ソロモン諸島(ガダルカナル島攻防戦)の悪化に伴い、
山本長官直々にラバウルに到着。一式陸攻と複数のゼロ戦護衛で最前線基地を目指してましたが
情報漏れ(←故意に対立する陸軍が流した節もある。)により待ち伏せ攻撃を受け戦死なされました。
遺体は「戦艦武蔵」でトラック諸島から運ばれ、本土で盛大な国葬が行われました。後に元帥に昇格。
昭和18年から20年までは銅像は設置されていましたが、終戦直前には米軍の破壊を恐れ、
銅像は2つに折られました。そして地中に埋められました。上部は昭和23年発見されました。
今は呉の江古田の海上自衛隊基地に保管されてます。下部はなんと平成14年6月10日に
雄翔園の常在戦場碑の付近で発見されました。

後方の雄翔館には、特攻で散った陸海軍のパイロットの遺書や遺品が展示されています。
撮影は厳禁です。しっかり見て行きましょう!

雄翔館の裏手にはお目当ての世界で1台しかない三式中戦車を見に行きます!



後編へ続く

回向院

レポ提供:ヴラド魔王様

東京都荒川区

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回向院は三ノ輪橋駅から国道4号線昭和通りを渡り
JR常磐線とJR貨物線の線路の下を潜り、
線路沿いを歩くこと10分程で到着します。
日本風の寺院建物では無く、現代風の鉄筋コンクリートの
建物で南千住駅前に在ります。此処には写ってませんが
上には黄金色に輝く徳川家の大きな家紋が在り目立ちます。




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入口に設置されてます。
〜回向院〜
回向院は寛文七年(1667年)本所回向院の住職弟誉義観が
行路病死者や刑死者の供養のために開いた寺で、当時は
常行堂と称していた。安政の大獄により刑死した
橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが
葬られている。明和八年(1771年)蘭学者杉田玄白・
中川淳庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に
立ち会った。後に「解体新書」を翻訳し、
日本医学史上に大きな功績を残したことを記念して、
大正十一年に観臓記念碑が建立された。
荒川区教育委員会




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回向院は浄閑寺同様境内は狭く御墓が犇いてます。
また「資料館」は「在ります」と、書いてませんので
見たい方は寺院の受付に申し出をしてください。
訪問した時は残念ながら門は開いてましたが、
受付は真暗でしたので拝見する事は出来ませんでした。

展示されているのは…
■実際に首を落とした太刀
■モノクロ写真ですが当時刑場の写真
(かなり引いてしまう程の写真;)
■発掘された頭蓋骨
■刑場に関する書物 等が在ります。
(朝日ソノラマ・闇の検証1より)
因みに小塚原刑場は2000坪。
刑場廃止迄の処刑された方は20万人も…
今でも回向院周辺の土地を掘ると、
鈴ヶ森同様に骨が出るそうです。




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境内で見つけました‘あの方’の墓です。





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此れはあの「鼠小僧」の墓です。何故か角が破損してます。
何故でしょうか?それは…金運やギャンブルの御守に使う為、
庶民が削ったのでした。





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その他に…3人の方の(罪人ですが・・)
◆片岡直次郎(直侍・小悪党)
◆高橋お伝(毒婦・殺人強盗)
◆腕の喜三郎(侠客腕の・別名野出喜三郎)
景気が良かった頃は、この4つの墓は金網で覆われてました。
今では掲示板が破損、墓は触り放題です。
墓地内には管理費支払いが滞った御墓が多数見られました。
寺院からの「この御墓の持ち主の方は寺院の受付に申し出て下さい」と
プラスチック札が付いてました。やはり長く続く不況で…




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回向院から歩き、鉄橋の直下に在りますのが延命寺です。




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小塚原刑場跡に立ちます首切り地蔵です。
刑死者を弔う為、1741年に将軍徳川吉宗が寄進しました。
目の前の碑は元禄十一年(1698年)に寄進されたそうです。




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首切り地蔵は高さ一丈二尺(約3.6メートル)
7個の花崗岩を組み合わせたものです。





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〜小塚原刑場跡〜
江戸のお仕置場(刑場)は、品川の鈴ヶ森と千住の小塚原の
二つである。小塚原の刑場は、間口六十間余(約180メートル)
奥行三十間余(約54メートル)で、明治のはじめに刑場が
廃止されるまでに、磔・斬罪・獄門などの刑が執行された。
首切地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(1741年)
に造立されたものである。
荒川区教育委員会

延命寺には回向院同様「資料館」が在るのですが…
尋ねた所「今は公開してません」と回答が有りました。
立派に受付には工事で出土した頭蓋骨の新聞記事の
切抜が飾られていたのに。外には「資料館在ります。」と
紙にマジックで書かれた物が在ります。
地元の噂では…深夜になると「バサッ、バサッ」という音が
斬首台の方角から聞こえてくるそうですよ…

以上回向院・延命寺レポートでした。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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