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恵庭の御神木

北海道恵庭市恵み野

【探索日】2003年5月

北海道で有名な心霊HPで紹介されていた「恵庭の御神木」
以前テレビでも紹介されたそうで、切ろうとすると祟られるそうです。
道路拡張や、土地区画整理の時も切り倒される事も無く
逆に道路が「御神木」を避けるように造られています。


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漁川沿いに走って、住宅地の真中に「御神木」が立っています。
この角度から見ると、車線が避けているのがわかります。




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逆光なので反対側に渡り撮影。
隣に置いてある車を参考に大きさを想像して下さい。




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根元にはちょっと見難いですが「……線道路保護樹木」
と標識が立っています。




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木の中心部のアップです。
魂が宿っているような力強さが感じられます。




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てっぺん付近。これからも切られる事も無く、
恵み野の街を見守ってゆく事でしょう。
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おへそ山の伝説

静岡県掛川市

【探索日】2013年5月

掛川市に安養寺運動公園。
公園内には「おへそ山」と呼ばれる場所があり
「かみなりさまのおへそ」があります。


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「おへそ山の伝説」
今から約300年前、遠江国の薗ヶ谷村(安養寺運動公園付近)に
印徳寺というお寺がありました。
ある日、近くの大きな杉の木に雷が落ち、和尚さまが様子を見に行くと、
杉の木の根元に大怪我をしたかみなりさま『雷獣』をみつけました。
和尚さまは手厚く手当てをしてあげ、数日後元気になった『雷獣』は
自分のおへそを取り、「日照りで困ったら、おへそを拝むと雨が降ります。」
と告げて天に還って行きました。
それから数年後、照りの年に、和尚さんが村人と一緒におへそをお供えし
雨乞いの御祈祷をすると、雨を降らすことができたそうです。
〜静岡新聞社「おばけまだまだ」より〜








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安養寺運動公園には、多目的グラウンド、テニスコート、
屋外プール(夏)、アスレチック遊具、トイレが整備され
多くの人たちが運動をしています。








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こちらがおへそ山のおへそのオブジェ。
本物は現在大切に保管されています。







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この場所は和尚さんと村人が雨乞いの御祈祷をした場所です。

近年でも干ばつのおりの昭和23年に
雨乞いの儀式が行われたそうです。

螺旋の廃屋

静岡県西部

【探索日】2007年3月

交通量が多い道路沿いに建つ螺旋階段が象徴的な建物。


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緑が芽吹き始めた季節に再訪。





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長年風に晒され窓は砕け鉄骨は錆だらけ。




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吹っさらしですが建物内にお邪魔します。




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事務所・・・だったのでしょ。




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ネットに絡まる蔦。もぅ組んづほぐれづって感じ;




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錆びて変型してしまったデスク。




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流しの後ろは壁でしたが、簾のように風になびいてます。




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夏場、開かれた窓からは緑が押し寄せる。




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乗るのを躊躇する鉄製部分。




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トイレは外から丸見え・・・




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二階に上がれない螺旋階段。




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外からしか見れない二階部分。
とても手頃な事務所系物件でした。



女鬼隧道

三重県多気郡多気町

【探索日】2002年5月

同行者:慧様

地名は平安時代の物語にも記載されています。
物語には、女性の霊が現れ、お寺の住職に自分の死体が
木の下に埋まっているので掘り起して供養をして欲しいと
頼んだそうです。そして供養した場所がこの周辺だったそうです。


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すっかり日が暮れて現地に到着。
新トンネルを抜け、隧道入り口に向かいます。
鉄の扉で蓋をされていると聞きましたが、
フルオープンで我々を待ち構えていました。




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銘板です。周りのレンガが時代の古さを物語っています。




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いよいよ中に突入!声が反響し、水の音がどこからか聞こえます。




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当時使われていた照明。錆が全体を覆っています。




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案外短い…反対側を撮影しました。




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やはりここにも粗大ゴミが捨てられています。
周りの雑木林は物音一つしません。




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折り返し中に入ります。
壁のシミがいろんなモノに見えてきます。




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出口…あの赤い光は!?自分の車の反射でした(冷汗)




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新女鬼トンネルも写してみました。
時折通る車の音がトンネル内で反響し、
念仏のように聞こえてきてしまいます。

慧様を駅にお送りして、無事に家に帰り付く事が出来ました。
今回一度も道を間違わずに各地に行き着く事が出来、
慧様には大変感謝しております。

緑十字機(一式陸上輸送機)

磐田市

【探索日】2013年9月

磐田市福田の公民館で開かれた展示会「戦争の時代と福田の人々」に、
終戦直後の1945年8月20日、現:磐田市の鮫島海岸に不時着した
一式陸上輸送機(緑十字機)の機体の一部が展示されているので訪れました。

『緑十字機』
昭和20年8月19日、米軍の指示で降伏受理協議のため、
マニラの連合国司令部に派遣された陸軍大本営参謀次長河辺四郎中将を全権に
横山一郎海軍少将、岡崎勝男外務省調査局長など陸・海軍、外務省の責任者17名
からなる代表団を乗せ飛行した2機の飛行機。一式陸上輸送機(1番機)と
一式陸上攻撃機(2番機)の機体を白く塗り、翼に緑の十字が書かれたことから
『緑十字機』と呼ばれました。
代表団は千葉県木更津から沖縄県の伊江島まで緑十字機で、伊江島からは米軍の
飛行機に乗り換えマニラへ向かいました。
緑十字機は翌日の夕方、故障した2番機を残し、マニラから伊江島へ戻った代表団を乗せ、
木更津に向かいますが、燃料切れのため深夜(20日午後11時55分頃)、
磐田市鮫島の遠州灘海岸に不時着しました。
〜展示資料より〜

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磐田市福田公民館での展示会「戦争の時代と福田の人々」
昼頃到着したためか見学者は我々だけでした。

戦地から役場に宛てられた手紙や、靴や水筒など180点が展示されている他、
ラジオ放送された昭和天皇の「終戦の詔書」(玉音放送)のCDも聞けるそうです。



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緑十字機(一式陸上輸送機)の展示

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伊江島で羽を休める緑十字機2番機

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飛行中の緑十字機

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伊江島の緑十字機2番機





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『不時着した緑十字機(降伏軍使機)』
終戦の玉音放送から5日後の昭和20年8月20日の深夜、
翼に緑の十字を印した白い大型飛行機(一式陸上輸送機)が鮫島海岸へ不時着しました。
この飛行機には、日本の命運をかけマニラの連合国司令部と降伏受理協議(終戦協議)を
行なっていた陸・海軍及び外務省の代表団の主要メンバーが乗っていましたが、
全員が奇跡的に大きな怪我もなく不時着することができました。
代表団と搭乗員は地元の人たちに助けられ、手配されたトラックで浜松飛行場へ、
浜松飛行場から飛行機で東京へ戻り、連合国司令部から渡された指示を総理官邸へ
伝えることとなりました。その後、連合国軍進駐、ミズーリ号での降伏文書の調印につながっていきます。
不時着した飛行機は、海岸に放置されましたが、主要な部品は持ち去られ、
残された機体も台風による嵐で海中に沈んでしまいました。
その記憶も忘れられようとしていた平成18年6月に鮫島海岸で尾翼部分が、
平成23年7月に遠州灘で燃料タンクの一部が発見されました。
〜展示資料より〜

『一式陸上攻撃機と陸上輸送機』
一式陸上攻撃機は海軍の陸上攻撃機で、皇紀2601年4月(1941年(昭和16年))に
正式採用されたため、末尾の数字をとって、「一式陸上攻撃機」と命名されました。
後継機「銀河」の配備が遅れたこともあり、終戦まで海軍の主要攻撃機として活躍しました。
このうち先行して生産された30機が改修され、一式陸上輸送機と命名されました。
胴体内に座席を設け人員と貨物の輸送任務に従事しました。
〜展示資料より〜


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こちらが漁船により引き上げられた増設タンク。






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長い年月、海の中に浸かっていたためぼろぼろ。






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希少な一式陸攻の機体の一部。




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操縦室の写真も展示されていました。




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ガラスケースの中にはプラモデルの下に
尾翼の一部も展示されています。




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国の重要な代表団を乗せた飛行機が燃料切れ?
ネットで情報を探してみると・・・
日本の上空で友軍機の追撃を受け回避するうちに
燃料切れとなった。降伏を認めない一部の軍人による
妨害工作が行なわれたのではないか云われています。




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緑十字機の他に空襲時に残されたモノの展示。




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B29爆撃機から投下された焼夷弾と
グラマンの機銃掃射に使われた機銃の薬莢も。
多くの命が失われました。




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孫文関連の展示もされてます。




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地元出身の方が戦死時に身につけていた日章旗。
今も大切に保管されています。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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