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鎌倉魔所(前編)

レポ提供:ヴラド魔王様

神奈川県鶴岡八幡宮周辺


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JR横須賀線を使い鎌倉駅に到着しました。
鎌倉は東京や京都同様、歴史を動かして来た都市です。
ですから、鎌倉の中には沢山の「魔所」が存在します。
鎌倉の「地名」の元を辿って行きますと遥か昔に溯ります。
伝説に因れば…神武天皇が統治していた時代に鎌倉には
「東夷(とうい)」と呼ばれる人達が住んでました。
神武天皇が東国の征圧に軍を出した時、東夷は激しく抵抗しました。
征圧軍は毒矢を使い東夷を射殺しました…
虐殺された東夷の数は1万人にも上りました。
その遺体を埋めたのが、今の鎌倉であり別名「屍倉」と呼ばれてました。
屍倉が訛って鎌倉と成ったのでした。
即ち鎌倉は、恨みを呑んで死んだ戦死者達が埋葬された
「墓地」の上にあるのです。





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鎌倉駅から先ずは若宮大路を目指します。
この若宮大路を建設したのは、源頼朝の妻である北条政子でした。
1182年、政子は(2代将軍頼家)の安産を祈願して完成させました。
道の真中にある一段高くなった道は「段葛」と呼ばれてます。
身分の高い武士が歩けた道でした。庶民は段葛の脇を歩いたのでした。





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若宮大路を進みますと三ノ鳥居が見えて来ます。
此れは江戸時代に将軍徳川家綱が寄進したものです。





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太鼓橋(渡れません)を通過すると左右に池が見えます。
右が「源氏池」、左が「平氏池」と呼ばれてます。
右の源氏池には島が3つ「三」は「産」に通じるとして、
白漣植えられ源氏繁栄が込められてました。
見えますのは「旗上神社」です。





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左には「平氏池」です。池には紅漣が植えられ中に島が4つ…
「四」は「死」に通じるとして、平家滅亡を祈ったとされてます。
真夏には漣の花が咲き乱れます。勇気のある方は「挑戦」してみますか?
ビデオカメラを漣が生茂る辺りを撮影してみると、
葉と葉の間に源平合戦で亡くなった武士の亡霊が写るそうです。





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平氏池を通過し左に曲りますと、西鳥居に行ける道があります。
その脇に「伝説の石」である「よじべぇ石」が奉納されてます。
しかも…公衆トイレの前に。





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此れが「よじべぇ石」です。大正12年(1923年)に関東地方を襲った
関東大震災で鎌倉にあった飯島の海底が隆起し、畳三畳敷にも及ぶ
巨石が沈んでいる事が発覚しました。飯島は昔から「魔所」と呼ばれ、
「飯島の海には河童が棲んでいる」とまで云われてました。
代表的なのは…
・突然漁師の網が切れる。
・海水浴を楽しんでいた子供が引き込まれる。
などの伝承が残ってます。

巨石を発見した時は、石の周りの砂は深く抉られており、
飯島の西沖に大きな流れを作り出していた事も分かりました。





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巨石は直ちに引き上げられました。地元の憶測では・・
「和賀江島築港で運んで来た石を、誰かが間違えて
この場所に落としてしまったのがろうか・・?」と処理されました。





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その後、巨石は「よじべぇ石」と名付けられ、
鶴岡八幡宮へと奉納されました。現在飯島は逗子アリーナの下に埋立てられ、
その姿を見ることは出来ません。その近くには、神奈川最大の心霊スポット
「小坪トンネル」があります。





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「よじべぇ石」の撮影を終え、鶴岡八幡宮から出て鎌倉宮方面に向かいます。
この八幡宮から鎌倉宮の間には「鎌倉の魔所」が沢山存在します。
何箇所か紹介しましょう。
鎌倉宮に行く途中に「魔の淵」が存在します。
車が頻繁に行き交う道路沿いにありました。
道路の下を流れる小さな川?(溝川)を見付けました。
小さい橋が架かって?ました。





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溝川の袂には何故か御地蔵様が安置されています。
かつての溝川は今より大きかったのです。青黒く深い淵になっていまして・・
川には魔物が棲んでいて、多くの通行人が川に引き摺り込まれて
魔物の餌食となりました。淵の一体はやはり「祟りの場所」とされ、
以前は土地を買う者さえいませんでしたが「供養」の為に御地蔵様を
建立した所「祟り」も収まり今では住宅地が広がってます。





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今でも「封印」された魔物はいるのでしょうか・・・・





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この御地蔵様がいらっしゃる限り「祟り」の復活はないでしょうが・・
鎌倉市の区画整理で動かされたら・・再び魔物は甦るに違いない。

〈後編へ続く〉
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東勝寺跡と腹切りやぐら

レポ提供:ヴラド魔王様

神奈川県鎌倉市

源氏終焉の地と鎌倉幕府滅亡の現場レポです!


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これが鶴岡八幡宮の舞殿です。





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舞殿の後には巨大な銀杏があります。
この銀杏に隠れていたのが…





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鎌倉幕府3代目の暗殺を狙っていた、
2代目将軍頼家の子供の公暁であった。





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雪が降る日、純白に染まった石段は刀で切断された
実朝の首から噴出す血で真赤に染まりました…





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東勝寺跡と北条高時の腹切りやぐらに行くには
小町大路を目指します。小町大路に出ましたら
滑川(なめりかわ)に向います。
静かな住宅地を抜けますと、滑川に掛かる東勝寺橋が
見えて来ます。此処が入口。

鎌倉幕府最後の日、東勝寺には討伐軍に追詰められた
北条一族が集まってました。其処には14代目執権高時もいたのでした。
僅か9歳という幼さで執権に就任させられるとは不運な人物でした…
新田義貞軍によって鎌倉は炎上、徐々に東勝寺にも討伐軍の足音が
近づいて来てます。その時、武蔵野へ出陣して以来80以上の合戦に
参加し、其の度に先陣をきっていた猛将長嶋高重が東勝寺に戻って来ました。
「もはやこれまで…憎き義貞に首を獲られる前に、早く自害を」
血だらけの無残な姿の高重がそう言うと、躊躇いを隠し切れない
高時とその一族は、暫くは其の場で黙り込んだのでした。
すると、高重がの実弟の新衛門に酎をさせ、堂々と杯を飲み干した高重が
「私が手本を見せましょうぞ!」と言った瞬間、皆が見ている前で
自分の腹を十字に斬り、自らの腸を抉り出し、死に伏せたのでした。
そして北条一族は次々と高時の前で自害して行きました。
死体が誰にも分からない様にする為に東勝寺には火が放たれました。
火災は見る見るうちに燃え広がりました。
一族がいた部屋も炎に包まれて最後まで自害を躊躇っていた高時も
遂に自害しました。この日、高時と共に自害した者達は、
一族を合わせて870人にも及びました…
こうして、源頼朝を開祖とする鎌倉幕府は滅亡しました。





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橋の下は滑川が流れてます。此処の東勝橋にも伝承があります。

鎌倉時代、執権北条時頼に仕えていた青砥藤綱という武士は、
この東勝寺橋を渡った時に、十文の銭が入った袋を滑川に落としました。
普通は諦めてそのまま行ってしまいますが…藤綱はわざわざ人を雇い、
夜間だった為に五十文を払って松明を買求め、川の中を探させたのでした。
落ちた十文銭は見つかりました。後でこの話を聞いた住民がこう噂しました。
「藤綱は勘定知らずの頭の悪い武士だ。」と笑い者にされました。
しかし藤綱は反論しました。「天下の銭を川に落としては國が十文の損を
してしまう。私が使った五十文は、私自身が損をしたかもしれないが、
その銭を受取った人達によって、今後も世の中で使われるのだから、
決して天下の損にはならないではないか。」と何の恥も感じず言ったという。
この話は、御金の大切さを伝える話として、
現代にも伝えられている有名な話である。





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東勝寺橋を渡り切りますと、坂道が見えて来ます。
道沿いを進みますと左手に発掘の終了した土地が見えて来ます。





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今では雑草が生茂る原っぱと化してますが、
鎌倉時代には広大かつ頑強な城塞風の東勝寺が存在してました。





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原っぱ沿いを進みますと、祇園山ハイキングコースの入口が見えて来ます。
その脇に、高時の腹切りやぐらへよ続く道がありました。
入口の前にはこんな立看板が…





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舗装されていない狭い道を歩いて行きます。
すると脇の草叢からは何やらガサゴソと音がしました…
一瞬ビビリましたが、今鎌倉で問題に成っているタイワンリスでした。





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この腹切りやぐらは、間口4メートル・奥行6メートル程の
横穴式の墓です。昭和41年に宅地工事の際、夥しい数の焼けた人骨と、
初七日と記された五輪塔が出土した為に、それらの人々を供養する目的で
このやぐらは制作されました。ですから此処で高時や北条一族が
集団自決した場所ではありません。





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やぐらの入口には強大な御塔婆が立ってました。
人間の背よりか高い物です。





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よくこのやぐらの中を撮影しますと怪現象に遭遇します。
1.シャッターが下りない
2.写真が真赤な怪光に蔽われている。
3.何も写って居ない。
4.撮影する時に、薮蚊の大群に襲われる
等の証言があります。もしこのような事態に成りましたら…
帰り次第神社や寺院で御祓いを必ず受けましょう。





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丁重に手を合わせ、ヤグラの中から外を撮影しました。
くれぐれもそれ以上中には入らない方が良いですよぉ。
此処に眠る方達の怒りをかいますので…あと夜の訪問は
非常に危険です!どうしても訪問したい時は自己責任で御願いします。

以上東勝寺跡と北条高時の腹切りやぐらレポートでした。

ブラックビル

茨城県
【探索日】2007年6月

道を走っている時に見つけた建築途中の建物。
地元では有名な物件だとか・・・


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車窓に現れた建築途中と思われる黒い物件。
ブラックビルといわれている建物だそうです。





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中世ヨーロッパの城を彷佛とさせるシルエット。





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それが2棟もいきなり現れるとビビリます。





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適当な空き地に駐車し、通行中の乳母車に注意しながら建物を眺めます。





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一応は入れそうですが・・・





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草を掻き分け建物の窓から中を覗くと、、





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思った以上にがらんどー  期待がなさそうなので、
通行中の乳母車に会釈しながら撤収しました。

善波隧道

神奈川県伊勢原市
【探索日】2005年3月

神奈川県でも有名な隧道です。


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渋滞している国道から旧道に入ると
左右にラブホテル街;その先に隧道はあります。
ちなみに隧道の前後にラブホテルが点在しています。





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銘板が読めなくて竣工時期が判読出来ない。





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では徒歩で中に入ってみます。





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古いレンガ造りでなかなか歴史がありそうです。





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あっという間に出口に到着。この先もラブホテル街。





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出口の銘板…年月日が読めない。。





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堂々とした造りの隧道です。
旧道&ラブホテル街というだけあって
昼間は車通りないみたいです。





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それでは戻りましょう。時々吹き抜ける風に舞った
落ち葉やゴミの音が足音のようにも聞こえます。





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地下水のシミが人の立っているようにも見えます。
夜中には見たくないシミです;;






zennami_10.jpg
隧道探索終了。やっぱり歴史のある隧道は好きです。

この付近で有名な話で「もう死なないで準一」の
看板があったとの事です。新トンネルの出口に置かれていたと
噂があり、実際善波峠は事故が多発している場所だそうです。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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