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雪の研修所

静岡県東部

【探索日】2008年1月

山間部に建つ研修所であったといわれる施設です。

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前日までの晴れ予報から一転・・・ノーマルタイヤで冷汗を流し、
降り積もった雪を踏みしめながら建物に向かいます。





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はためくカーテンを押さえながら玄関から中へ





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とても静か・・・雪のために通行する車もなく無音の空間。





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天井が剥がれ至る所に雨漏りの跡。





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会議室はじめっとした湿気を帯びています。





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とても小さな共同浴場。





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自習室も壁にはカビが生え床が抜けています。





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調理場の重たい雰囲気はどこも一緒。





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空のまま放置されている鷲のマークが寂しげ。





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二階の日当たりのよい客室・・・ちゃぶ台返しか





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ついさきほどまで人が寝泊まりしていた雰囲気のある部屋。





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二階から見た屋根・・・足跡が無い新雪にダイブしたい。





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網の間から下の階を見下ろす。





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スロープを降りてロビーに戻ってきました。
光量が足りないので奥の部屋はパスです。





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玄関からの風景。結構豪華に見える造りなんですよね。





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雪だまりにスタックし焦りながらも何とか脱出。
帰りに澄んだ空気でよく見える富士山を撮影。
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西洋館

茨城県

【探索日】2007年6月

その建物は深い薮の中に建っています。


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ご協力をいただきなんとか辿り着いた西洋館。
昔のワイン工場跡と云われています。





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赤いレンガが何とも言えないよい雰囲気。。





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部屋の中央に大きな木…反対側に廻ってみます。





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きれいに積まれたレンガに陽があたる美しさ。





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雑木林の中には他のも小さな塔もあります。
しかし・・・やぶ蚊の猛攻が凄まじい;;





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裏側に廻って来ました。先程の入口の下は奈落でした。






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屋根や床が落ちそこから差す太陽を浴びて、立派な木に育っています。






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まるで中世ヨーロッパの城跡に来ているみたい。





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木はまだまだ延び続けるのでしょうね。





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竹が生い茂る建物の奥も見てみましょう。





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苔むしたレンガもよい味を出しています。





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鉄の扉が落ちる寸前・・・徐々に崩壊してきたのでしょう。





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すっかり苔に飲み込まれたレンガ。





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森に飲み込まれると言う表現がぴったりな
レンガ造りの西洋館に別れを告げて脱出。
完全に消えてしまう前に訪れる事が出来てよかった。

廃土産物屋

静岡県北部

【探索日】2006年9月

渓流沿いに残され朽ち果てた釣り人達の憩いの場所。
現役時代、この店に立ち寄り食事をした記憶があります。


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秋草に覆われ自然に還ろうとしている建物。
数年前、この物件を見掛けた時より崩壊が進んでいます。





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中を覗いてみると…すでに昔の面影は残されていません。
ガラスのない窓から吹き込む風雨で全てが朽ちている。





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一番奥の席で食事したな。





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棚には日本人形が…





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窓の外を行き交う車を、来る日も来る日も見つめています。





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土産物や、魚を焼いていたアーケードも
今では苔むしている。





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屋外に出された冷蔵庫。





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小部屋には蔦が育っています。





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部屋の中にも苔のじゅうたん。





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光を浴びてさらに増殖を企んでいます。





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ガスメーターが雨を浴びジッと耐えているよう。





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住居の入り口には冷蔵庫が横たわり通せんぼ。
床も抜け落ち中に入るのは控えます。





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二階部分を外から眺めても、朽ちていて
入る気になれません…あきらめて撤収です。





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外に立つ看板を撮影してこの物件を後にしました。

着弾観測所

石川県内灘町

【探索日】2008年5月

〜案内看板より〜
この建物は昭和28年内灘砂丘が米軍の特需砲弾試射場として
使用されていた時、発射された砲弾が目標への的中率と爆発、
不発の確認を行った着弾地観測所である。
通称O・P(オペレーションポスト)と呼ばれ見晴しの良い
丘の上に立てられたものであり、
昭和32年(1957年)1月まで使用されていた。
内灘町


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小高い丘に立つコンクリートの建物。
今回、正体を確認するために近付きます。





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果てしなく車で彷徨いようやく見つけたのがこの看板;





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徒歩240m…されど240m; 荒れ放題の歩道を草木をかき分け前進。
上空は蜂やアブが乱舞し、足元には毛虫が所狭しと密集;






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やっと辿り着きました・・・
案内看板が真新しく見えます。






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長い年月、潮風に晒され風化が進んでいます。






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厳しい冬の時期に暖を取ったであろう煙突が残ってました。






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入り口から中へ入ってみます。






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狭い空間に強烈に差し込む光。






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さらに・・・様々な虫たちの羽音や足音が充満。






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窓からは日本海と砂丘が見渡せます。






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外にあった煙突のもと・・・






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延々と響く虫たちの立ち退きコールに降参。





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澄み渡った五月晴れの空。





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爆風よけの細い窓。





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一通り見学し、また草木をかき分け撤退。
帰宅後調べてみると当時は大変だったようです。


内灘闘争…石川県内灘村(現在の内灘町)で起きた米軍の試射場接収に反対する運動。

1950年(昭和25年)朝鮮戦争勃発。日本の企業はアメリカ軍への砲弾を供給していた。
性能検査をするための試射場が必要となり、長い海岸線をもつ場所が選ばれ
静岡県御前崎と、石川県内灘が候補になり、1953年(昭和28年)最終的に
内灘に決定された。これに対し村議会は反対決議を行い、村を二分した闘争に発展。
政府は石川県選出の参議院議員を説得に当たらせた。接収が焦点となった
参議院選挙では、白熱した選挙戦となり、接収反対を掲げた候補が当選。
闘争はアメリカ軍の撤収で終息した。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

皆月海軍望楼跡

石川県門前町

【探索日】2008年5月

能登半島にある皆月海軍望楼跡。日露戦争前に
創設され、太平洋戦争終戦後は米軍も使用した要所。


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着いたのは夕暮れ時・・・こんな時間にもちろん誰も居ない。
そして、さすが崖の上の突っ先! 風が半端なく強い!!
飛ばされそうになりながらも薄暗い松林を抜け望楼跡に到着。





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レーダー施設跡に建てられた展望台に上ってみます。

〜案内看板より〜
皆月海軍望楼は北緯37度21.6分、東経136度45.7分に位し、海抜162米(メートル)、
展望の広きこと全国望楼中優秀の位置を占むと言う。日清戦争後、来るべき日露の開戦に
備え露国艦隊を睨む日本海の防衛基地として、明治29年12月に創設された。
海上見張、通過船舶との交信・無線通信、気象観測及び軍事諸教育施行等の任に赴き、
日本海大海戦勝利への一助を果たした。
その後、一時的な平和の到来により大正10年軍事施設を撤去、昭和4年気象業務も
輪島測候所に移転し、望楼は廃止された。大平洋戦争開戦時の昭和16年12月8日、
既に戦略上の要衝として、舞鶴鎮守府直轄の鋸崎「皆月海軍特設見張所」が再建構築され、
兵員も配備されていた。又、一時民防空「六番皆月監視哨」も併置されていた。
昭和20年(1945年)8月15日、敗戦を似って終結、日本海軍は終焉し、その任を閉じた。
戦後、アメリカ軍がこの地を接収し、対空レーダー基地として改設軍務駐留したが、
一冬後、輪島に基地を移動転去し無人に帰した。

門前町はこの台地、旧見張台。電探据付基礎及び米軍レーダー設置台跡地点に
「旧海軍望楼跡」と昭和47年4月、記念の石柱を建立し、現在に至っている。





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眼下に広がる日本海。。天気が良ければ中国大陸まで見えそう。





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強い風で息苦しくなったので階段で高台下へ移動。
コンクリートの遺構がちらほら見えます。





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ぐるっと移動すると説明看板がありました。





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兵舎の跡だったようです。





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草に隠れてる遺構。





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唯一建物らしいものはこれだけ・・・とても小さいです。





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茂みの中に防空壕が・・・さすがに掻き分けて入りませんでした。





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発電機跡。しっかり土台は残っているものです。





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看板が倒れていますが砦の井戸だそうです。
この望楼唯一の水補給元だったのでしょうか。





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探したら・・・見えてないし危ないでしょ><
夕闇に追い立てられる様にこの場所を去ります。
さすがの米兵でも一冬しか我慢出来なかったのでしょうね。

鎌倉魔所(後編)

レポ提供:ヴラド魔王様

神奈川県鶴岡八幡宮周辺


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魔の淵の近くには私立学校があります。
最近の児童誘拐事件で、周辺はかなり厳しい警備になってました。
その私立学校の敷地の中にも「魔所」はあります。
「災難畑」がその学校の敷地にあり、その土地に家を立てると
「必ず災難が起きる」と云われ、長い間住む者はいませんでした。
今では立派に学校が立っています。






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ちなみに鎌倉の「魔所」は以下の場所に存在します。
・鎌倉大蔵の「災難畑」 ・鎌倉大蔵の「魔の淵」
・小町の「天王畑」 ・二階堂亀ヶ淵の「櫛塚」
・植木の「しんどり塚」 ・扇ヶ谷の「人丸塚」
・鎌倉宮の参道にあるらしい「灯明畑」
・鎌倉の各地に7ヶ所点在する「塔ノ辻」
等かなりの「魔所」・・鎌倉に訪れる際は気をつけて!






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さて「災難畑」のある学校の前を通過しますと、
鎌倉幕府の開祖源頼朝公の墓所があります。
今年放映の「大河ドラマ」で人気スポットになりました。

墓所解説版です。読みましょう。






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此れが源頼朝公の墓です、非常に地味な墓所です。
弟義経の活躍により平氏を滅ぼし、さらにその弟を自害へと追いやり
頼朝にとって目障りな敵は処理されました。
1192年に頼朝は征夷大将軍に任命されました。
6年間は頼朝にとっては平穏な日々が続いてました・・・
しかし就任6年目の建久9年、相模川に架かっていた相模小橋が老朽化し
修復工事が完了した報を受け、頼朝は相模川に向かいました。
橋の供養の儀式も終え、鎌倉に戻る途中で頼朝は馬から「落馬」
その落馬が原因で「急死」したとされてます・・
実際は「呪い」で急死した様です。歴史書「保暦間記」によれば・・
・帰途途中八的で滅ぼされた義経や平家の亡霊と遭遇。
・稲村ヶ崎で海から安徳天皇の怨霊と遭遇。
との記述が在ります・・
頼朝の死は老死でなく祟死であるようです。






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ちなみに霊能力者 寺尾玲子氏の霊視によりますと
「頼朝公は未浄化霊です。」と告げられたました。
成仏は永久に無理の様で・・・






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頼朝亡き後の鎌倉は平穏な日は有りませんでした。
・御家人比企氏の乱
・御家人和田一族の乱
・3代目将軍実朝の暗殺
・御家人安達蓁盛が滅ぼされた霜月騒動
・新田義貞の鎌倉攻めによる、北条一族の滅亡
・関東管領上杉禅秀の自害
合戦や暗殺は日常茶飯事であった。






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頼朝公の墓所から右に進みますと大江広元の墓所が見えて来ます。
鎌倉幕府3代に使えた優秀な官僚・側近でした。
なかなか立派な墓所でしたねぇ。頼朝の墓所と比べますと。

「義経討伐」の入れ知恵したのもこの広元でした。






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さて大江広元の墓所の下には鎌倉で一番恐ろしいとされる墓があります。
「三浦一族の墓」です。泣塔クラスの祟りがあるとされてます。
場所は崖にありました・・






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草木蔽われて目立ちませんが穴がある事は分かります。






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頼朝挙兵を助けた三浦一族は代々幕府に重用されました。
しかし三浦蓁村の時に、幕府の実権を握ろうとしていた
北条時頼のあらゆる挑発と謀略を三浦一族に斯けましたました。
激高した三浦一族は兵を起こし、宝冶元年1274年
時頼との戦いに敗れた一族は頼朝の墓所法華堂に立て篭もりました。
頼朝の肖像画の前では一族は昨日までの繁栄の夢を語り、
やがて声高に念仏を唱え始め、堂内の全員が合掌したいう。
追討の兵士が法華堂ある領域に入ると、最早是までと
蓁村以下一族郎党500人が自害しました。法華堂は血に染まり、
三浦一族は滅び、北条一族の時代の到来です。






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これが三浦一族の墓です。無念の想いで自害した一族の怨念が中に漂ってます。
墓の右奥には「居る」そうです。霊能力者 寺尾玲子氏が霊視してます!
くれぐれも中には入らない様に!!!





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丁重に撮影と成仏の祈りを済ませまして一目散に退散しました!
夜は暗闇に包まれますので訪問される際は自己責任で訪れて下さい。

以上鶴岡八幡宮周辺レポートでした。
プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

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