T廃病院(後編)
栃木県某所
【探索日】2003年12月
ご案内:「異界への招待状」やっくん様

栃木県の某所にある廃病院です。

部屋の隅にぽつんと取り残された謎の器具。

ガスレンジ台…年代物ですね。

外に出ると流し台があります。

ボイラー室ですが…嫌な感じがしたので中に入るのを諦めました。

建物の中に戻りまして…余りにも広いので
すでにここがどこなのか解らなくなっています。

中部屋の様です…せっかくなので片っ端から撮影。

渡り廊下を戻って来ました。

途中でお手洗いがありました。

大部屋?壁が壊されているので大きな部屋のように見えます。

壁に落書き…巨大な蜘蛛の巣…ビビリましたよ。

取り壊し業者が壊したのか、先行者が丹念に壁を壊したのか
解りませんが跡形もありません。

真っ暗な廊下を更に進みます。一人だったら迷うのは必至。

下駄箱がありました。

なんとか受付まで戻りました。
さらに右の方へ進みます。

トイレはいつも嫌な感じがします。

ここは?医師の控え室だったのでしょうか?

タイル張りですが…

窓には格子が入ってます。宿直室?

小さな玄関…医院長の家族が使用したと思われます。

家の生活空間になってきました。

キッチンですね…ここで医院長の家族が暮らしていたのでしょう。

床が抜け落ちているため、入口からの撮影です。
押し入れには何も残されていません。

畳もひっくり返されています。

外から見えたシャンデリア…

別の部屋です。足元が危ういので手だけ部屋に入れて
撮影したのですが押し入れの様子は解りませんでした。

撮影を終えて受付まで戻って来ました。
ここでT廃病院の探索は終了です。
二日間に及んだ北関東遠征も終わりました。
年末のお忙しい時にご案内して頂いた
やっくん様、大変感謝しております。
数々の物件を紹介して頂きまして
誠にありがとうございました。
【探索日】2003年12月
ご案内:「異界への招待状」やっくん様

栃木県の某所にある廃病院です。

部屋の隅にぽつんと取り残された謎の器具。

ガスレンジ台…年代物ですね。

外に出ると流し台があります。

ボイラー室ですが…嫌な感じがしたので中に入るのを諦めました。

建物の中に戻りまして…余りにも広いので
すでにここがどこなのか解らなくなっています。

中部屋の様です…せっかくなので片っ端から撮影。

渡り廊下を戻って来ました。

途中でお手洗いがありました。

大部屋?壁が壊されているので大きな部屋のように見えます。

壁に落書き…巨大な蜘蛛の巣…ビビリましたよ。

取り壊し業者が壊したのか、先行者が丹念に壁を壊したのか
解りませんが跡形もありません。

真っ暗な廊下を更に進みます。一人だったら迷うのは必至。

下駄箱がありました。

なんとか受付まで戻りました。
さらに右の方へ進みます。

トイレはいつも嫌な感じがします。

ここは?医師の控え室だったのでしょうか?

タイル張りですが…

窓には格子が入ってます。宿直室?

小さな玄関…医院長の家族が使用したと思われます。

家の生活空間になってきました。

キッチンですね…ここで医院長の家族が暮らしていたのでしょう。

床が抜け落ちているため、入口からの撮影です。
押し入れには何も残されていません。

畳もひっくり返されています。

外から見えたシャンデリア…

別の部屋です。足元が危ういので手だけ部屋に入れて
撮影したのですが押し入れの様子は解りませんでした。

撮影を終えて受付まで戻って来ました。
ここでT廃病院の探索は終了です。
二日間に及んだ北関東遠征も終わりました。
年末のお忙しい時にご案内して頂いた
やっくん様、大変感謝しております。
数々の物件を紹介して頂きまして
誠にありがとうございました。
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T廃病院(前編)
栃木県某所
【探索日】2003年12月
ご案内:「異界への招待状」やっくん様
栃木県の某所にある廃病院です。

北関東探索の最後にご案内されたのが廃病院。
公園に駐車して真っ暗な道を歩いて移動です。

草むらに隠れるように門の跡があります。

廃病院正面に到着。雑草に覆われていたようですが
最近、草刈りをされているみたいです。

来る途中で撮影した別棟の写真。
これは…分娩台ですよね。

車庫だったのでしょうか…ボロボロ。

シャンデリアがぶら下がっています。
医院長の部屋だと思います。

それでは玄関から中へ突入!

玄関の大きなガラスは割られています。
訪れる人も多いのでしょう。

薬を渡す所は破壊され、落書きだらけ…

受け付けと思われますが…凄い状況;

受付の中に入ります。

扉という扉は全て解放されています。
もしこの影に何者かが潜んでいたら…
案の定物音がします。

部屋の中を覗いてみると…レントゲン室です。
被爆の可能性はないのかな;

隣の部屋です。ここも凄まじいありさまでした。

これは?手術台でしょうか??それにしては小さい。

手術室の隣、医師控え室なのか…

窓から草木が攻め込んできています。

お風呂場でしょうか?蛇口などは取り外されていました。

受付に戻ってきました。

外見から見ると小さそうな病院なのですが、
横に広いため迷いそうです。

渡り廊下のような場所を奥へ進みます。

病室と思われますが、壁が打ち壊されています。

視線を天井に移すと…空調施設は無事。

一番奥の部屋は調理施設のようでした。

大きなお釜。さすがにこれは重いらしく手を付けていませんね。

その代わりに冷蔵庫には蹴った痕が多数…
【後編へ続く】
【探索日】2003年12月
ご案内:「異界への招待状」やっくん様
栃木県の某所にある廃病院です。

北関東探索の最後にご案内されたのが廃病院。
公園に駐車して真っ暗な道を歩いて移動です。

草むらに隠れるように門の跡があります。

廃病院正面に到着。雑草に覆われていたようですが
最近、草刈りをされているみたいです。

来る途中で撮影した別棟の写真。
これは…分娩台ですよね。

車庫だったのでしょうか…ボロボロ。

シャンデリアがぶら下がっています。
医院長の部屋だと思います。

それでは玄関から中へ突入!

玄関の大きなガラスは割られています。
訪れる人も多いのでしょう。

薬を渡す所は破壊され、落書きだらけ…

受け付けと思われますが…凄い状況;

受付の中に入ります。

扉という扉は全て解放されています。
もしこの影に何者かが潜んでいたら…
案の定物音がします。

部屋の中を覗いてみると…レントゲン室です。
被爆の可能性はないのかな;

隣の部屋です。ここも凄まじいありさまでした。

これは?手術台でしょうか??それにしては小さい。

手術室の隣、医師控え室なのか…

窓から草木が攻め込んできています。

お風呂場でしょうか?蛇口などは取り外されていました。

受付に戻ってきました。

外見から見ると小さそうな病院なのですが、
横に広いため迷いそうです。

渡り廊下のような場所を奥へ進みます。

病室と思われますが、壁が打ち壊されています。

視線を天井に移すと…空調施設は無事。

一番奥の部屋は調理施設のようでした。

大きなお釜。さすがにこれは重いらしく手を付けていませんね。

その代わりに冷蔵庫には蹴った痕が多数…
【後編へ続く】
大刀洗平和記念館(旧)
福岡県
【探索日】2008年1月
甘木鉄道の旧太刀洗駅舎内にある大刀洗平和記念館。
ここは私設の記念館で、西日本における陸軍航空隊発祥の地、
日本陸軍が東洋一と誇った航空隊のあった大刀洗に、
駅舎を改装し昭和62年4月に開館しました。
展示品には世界に一機しか現存しない旧陸軍の九七式戦闘機や
この地で訓練をし、知覧などから特攻隊として旅立った隊員の遺影、
戦争当時の品々が旧駅舎内や地下通路跡に展示されています。

田園風景の一角に建つ旧太刀洗駅舎。
こちらが大刀洗平和記念館です。

旧海軍零式水上偵察機のフロート
福岡市が昭和62年10月に着工し平成2年にかけて行われた
大濠公園の浚渫工事中に発見され、記念館に寄贈されたものです。
この「フロート」は旧糸島水上飛行場にあったものを、
米軍兵士等が公園でボート代わりに使っていたものと思われます。

向いにはT-33が展示されています。
この機はアメリカ軍初の複座ジェット練習機で、
数年前まで航空自衛隊の練習機として運用されていました。
玄関には模擬魚雷まで置いてあります・・・

記念館内部は遺影や遺留品が多く展示されていました。
館長より当時や戦後の貴重なお話をお聞き出来ました。
特に旅立つ特攻隊員の話には涙ぐみました。
なお遺品が展示されているスペースは撮影禁止です。



〜展示機の経緯〜
平成8年9月10日、博多湾雁の巣鼻から南東約600m、
水深3mの海底で発見、引き揚げられ、旧陸軍九七式戦闘機と
判明した。引揚げ後、操縦席内にあった箸箱の名前から
搭乗者は鳥取県出身の渡辺利廣陸軍少尉とわかった。
渡辺少尉は沖縄戦への特攻出撃を命じられ、旧満州公主嶺から
鹿児島県の知覧飛行場に向かう途中、雁の巣沖に不時着。
その後、渡辺少尉は別の九七式戦闘機により
知覧基地から沖縄に特攻出撃、戦死されました。
この機体発見後、九州各地の戦争資料を展示する施設から
引取りの希望があったが、かつて東洋一の飛行場があった
大刀洗飛行場ゆかりの地の一市ニ町で復元され、大刀洗平和
記念館で保存、展示されることになった。
大刀洗飛行場平和事業推進協議会
〜大刀洗平和記念館パンフレットより〜

丈夫な固定脚は草原などの不整地でも離着陸が可能。
ノモンハン事件、日中戦争当時の空には九七式戦闘機に
叶う戦闘機は皆無でした。

特徴的なアンテナとスコープ。

シンプルな操縦席の機器類。大戦末期、操縦の簡単な
九七式戦闘機は、空戦経験のない飛行兵が操縦し
特攻作戦に出撃して行きました。但し老朽化のため
故障も多くこの機体もその中の一つだったようです。

60年以上海中に没していた機体をここまで
修復した技術と情熱には頭の下がる思いです。

中島製ハ-1乙エンジン
内部に固定された7.7mm機銃の銃口があります。視線上に
機銃があるため、安定した射撃で空の狙撃手と言われたそうです。

貫通性が非常に高く優秀だった九七式戦闘機搭載爆弾(1/2模型)

館内には渡辺少尉の遺族より寄贈された日記が展示されています。
不時着により今までの日記を失った渡辺少尉は知覧より出撃される
前夜まで過去の出来事を思い出し、改めて日記を綴ったそうです。
尊い犠牲の上に成り立った今の平和を
改めて考えさせてくれる記念館でした。
【大刀洗平和記念館】
〒838-0814 福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1
【開館時間】
午前9時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】
年末年始のみ (12月29日~1月3日)
【入館料】
大人(大学生以上) 500円(400円)
高校生 400円(300円)
小学生・中学生 300円(200円)
障がい者(大人)300円(300円)
※()は団体割引料金です。(15名以上からのご利用となります。)
※小学生未満は無料でご利用いただけます。
※介護者1名も障がい者割引適用。
※高校生以下の障がい者は無料。
※車イスを4台所有、多目的トイレも完備しております。
お気軽にご利用ください。
【電話】0946-23-1227
【FAX】0946-23-9009
【ホームページ】http://tachiarai-heiwa.jp
【e-mail】tachiarai-heiwa@jewel.ocn.ne.jp
【探索日】2008年1月
甘木鉄道の旧太刀洗駅舎内にある大刀洗平和記念館。
ここは私設の記念館で、西日本における陸軍航空隊発祥の地、
日本陸軍が東洋一と誇った航空隊のあった大刀洗に、
駅舎を改装し昭和62年4月に開館しました。
展示品には世界に一機しか現存しない旧陸軍の九七式戦闘機や
この地で訓練をし、知覧などから特攻隊として旅立った隊員の遺影、
戦争当時の品々が旧駅舎内や地下通路跡に展示されています。

田園風景の一角に建つ旧太刀洗駅舎。
こちらが大刀洗平和記念館です。

旧海軍零式水上偵察機のフロート
福岡市が昭和62年10月に着工し平成2年にかけて行われた
大濠公園の浚渫工事中に発見され、記念館に寄贈されたものです。
この「フロート」は旧糸島水上飛行場にあったものを、
米軍兵士等が公園でボート代わりに使っていたものと思われます。

向いにはT-33が展示されています。
この機はアメリカ軍初の複座ジェット練習機で、
数年前まで航空自衛隊の練習機として運用されていました。
玄関には模擬魚雷まで置いてあります・・・

記念館内部は遺影や遺留品が多く展示されていました。
館長より当時や戦後の貴重なお話をお聞き出来ました。
特に旅立つ特攻隊員の話には涙ぐみました。
なお遺品が展示されているスペースは撮影禁止です。



〜展示機の経緯〜
平成8年9月10日、博多湾雁の巣鼻から南東約600m、
水深3mの海底で発見、引き揚げられ、旧陸軍九七式戦闘機と
判明した。引揚げ後、操縦席内にあった箸箱の名前から
搭乗者は鳥取県出身の渡辺利廣陸軍少尉とわかった。
渡辺少尉は沖縄戦への特攻出撃を命じられ、旧満州公主嶺から
鹿児島県の知覧飛行場に向かう途中、雁の巣沖に不時着。
その後、渡辺少尉は別の九七式戦闘機により
知覧基地から沖縄に特攻出撃、戦死されました。
この機体発見後、九州各地の戦争資料を展示する施設から
引取りの希望があったが、かつて東洋一の飛行場があった
大刀洗飛行場ゆかりの地の一市ニ町で復元され、大刀洗平和
記念館で保存、展示されることになった。
大刀洗飛行場平和事業推進協議会
〜大刀洗平和記念館パンフレットより〜

丈夫な固定脚は草原などの不整地でも離着陸が可能。
ノモンハン事件、日中戦争当時の空には九七式戦闘機に
叶う戦闘機は皆無でした。

特徴的なアンテナとスコープ。

シンプルな操縦席の機器類。大戦末期、操縦の簡単な
九七式戦闘機は、空戦経験のない飛行兵が操縦し
特攻作戦に出撃して行きました。但し老朽化のため
故障も多くこの機体もその中の一つだったようです。

60年以上海中に没していた機体をここまで
修復した技術と情熱には頭の下がる思いです。

中島製ハ-1乙エンジン
内部に固定された7.7mm機銃の銃口があります。視線上に
機銃があるため、安定した射撃で空の狙撃手と言われたそうです。

貫通性が非常に高く優秀だった九七式戦闘機搭載爆弾(1/2模型)

館内には渡辺少尉の遺族より寄贈された日記が展示されています。
不時着により今までの日記を失った渡辺少尉は知覧より出撃される
前夜まで過去の出来事を思い出し、改めて日記を綴ったそうです。
尊い犠牲の上に成り立った今の平和を
改めて考えさせてくれる記念館でした。
【大刀洗平和記念館】
〒838-0814 福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1
【開館時間】
午前9時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】
年末年始のみ (12月29日~1月3日)
【入館料】
大人(大学生以上) 500円(400円)
高校生 400円(300円)
小学生・中学生 300円(200円)
障がい者(大人)300円(300円)
※()は団体割引料金です。(15名以上からのご利用となります。)
※小学生未満は無料でご利用いただけます。
※介護者1名も障がい者割引適用。
※高校生以下の障がい者は無料。
※車イスを4台所有、多目的トイレも完備しております。
お気軽にご利用ください。
【電話】0946-23-1227
【FAX】0946-23-9009
【ホームページ】http://tachiarai-heiwa.jp
【e-mail】tachiarai-heiwa@jewel.ocn.ne.jp
笹子隧道
山梨県大月市河口湖町
【探索日】2005年5月
〜案内看板より抜粋〜
四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な
交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって
一番の難所といわれたのが笹子峠です。
この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から
十三年まで国庫補助を入れて二八万六千七百円の工費を
投入し昭和十三年三月に完成しました。
昭和三三年、新笹子トンネルが開通するまで交通を支えました。
昭和前期の大役を終え、静寂の中にあるこの隧道は
平成十一年、登録有形文化財に指定されました。

果てしなく続くカーブの連続の山道を
ひたすら走ると…出て来ました笹子隧道。

とても静かでゆっくり鑑賞します。

どこの隧道よりも造りが斬新です。。

銘板も力強く感じます。

丸い物体…ズームして確認したら現役スズメ蜂の巣でした;

車で通過して反対側にでます。抗門の左右にある
洋風な二本並びの柱形装飾が特徴的。

案内看板が立っていました。

隧道の中は良い雰囲気に苔むしてます。

もう一度堪能して隧道に別れを告げます。

最後に…このシミが何かに見えて
想像豊かになってしまいましたけど…
【探索日】2005年5月
〜案内看板より抜粋〜
四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な
交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって
一番の難所といわれたのが笹子峠です。
この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から
十三年まで国庫補助を入れて二八万六千七百円の工費を
投入し昭和十三年三月に完成しました。
昭和三三年、新笹子トンネルが開通するまで交通を支えました。
昭和前期の大役を終え、静寂の中にあるこの隧道は
平成十一年、登録有形文化財に指定されました。

果てしなく続くカーブの連続の山道を
ひたすら走ると…出て来ました笹子隧道。

とても静かでゆっくり鑑賞します。

どこの隧道よりも造りが斬新です。。

銘板も力強く感じます。

丸い物体…ズームして確認したら現役スズメ蜂の巣でした;

車で通過して反対側にでます。抗門の左右にある
洋風な二本並びの柱形装飾が特徴的。

案内看板が立っていました。

隧道の中は良い雰囲気に苔むしてます。

もう一度堪能して隧道に別れを告げます。

最後に…このシミが何かに見えて
想像豊かになってしまいましたけど…
御坂隧道
山梨県御坂町〜河口湖町
【探索日】2005年5月
〜案内看板より〜
富嶽百景で知られ、太宰治も歩いたであろうこの峠は、
旧国道8号線(現県道河口湖御坂線)で、昭和五年十月着工、
翌十一月就労人員延べ三十六万人余りを動員し竣工しました。
双方の入り口から出口は見えず、暗闇の中、土工達は景気良く
唄いながら、セメントを練ったそうです。
全長三九六メートル・幅員六メートル・高さ四メートルに及ぶ
この御坂隧道はこの度、文化財の指定を受けました。

タイヤが焦げ臭くなる程の長い上り坂を走り
カーブを抜ると御坂隧道の入り口が見えて来ます。

歴史ある重厚な造りです。

蔦の間から銘板がのぞいてます。

冷たい風が吹き出す入り口で涼みながら見学。

反対側が坂で見えないので中を徒歩で行くのは
危険と判断して、車で隧道を通過します。

天下茶屋が営業している反対側です。
陽当たりが良く眩いくらい。

登録有形文化財を示す看板がありました。

歴史を感じさせてくれる雰囲気満点の隧道でした。
【探索日】2005年5月
〜案内看板より〜
富嶽百景で知られ、太宰治も歩いたであろうこの峠は、
旧国道8号線(現県道河口湖御坂線)で、昭和五年十月着工、
翌十一月就労人員延べ三十六万人余りを動員し竣工しました。
双方の入り口から出口は見えず、暗闇の中、土工達は景気良く
唄いながら、セメントを練ったそうです。
全長三九六メートル・幅員六メートル・高さ四メートルに及ぶ
この御坂隧道はこの度、文化財の指定を受けました。

タイヤが焦げ臭くなる程の長い上り坂を走り
カーブを抜ると御坂隧道の入り口が見えて来ます。

歴史ある重厚な造りです。

蔦の間から銘板がのぞいてます。

冷たい風が吹き出す入り口で涼みながら見学。

反対側が坂で見えないので中を徒歩で行くのは
危険と判断して、車で隧道を通過します。

天下茶屋が営業している反対側です。
陽当たりが良く眩いくらい。

登録有形文化財を示す看板がありました。

歴史を感じさせてくれる雰囲気満点の隧道でした。