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千人塚 (切支丹墓地)

名古屋市中区
【探索日】2004年1月

メ〜テレ近くにある千人塚。
江戸時代に行われたキリシタン弾圧のあった場所です。


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栄国寺
〜案内看板より〜
清涼山と号し、浄土宗西山派。
寛文五年(1665年)尾張二代藩主光友が、刑場を土器野(西春日井郡新川町)に移し
その跡に菩提のために清涼庵を創建、貞享二年(1685年)栄国寺と改められた。
このあたりは、もと千本松原といわれた刑場で、切支丹宗徒二百余名が処刑されたところである。
本尊の阿弥陀如来坐像と刺繍涅槃図は市指定の文化財である。
また寺内には、仏足石、千人塚、切支丹遺跡博物館等がある。
名古屋市教育委員会



christian_02.jpg
御本尊は火防不思議の弥陀
火伏(火防)の守護に古来より奇蹟の霊験あり江戸名陽図会にも載り、
近くは昭和二十年の空襲にも落下の焼夷弾全て不発。この一帯、火災を逃れたと云われる。
鎌倉時代ー春日の作 市文化財指定



christian_03.jpg
境内には幼稚園も併設されていて、子供達の無邪気に遊ぶ声がこだましています。
建物前に切支丹墓地を示す石柱。



christian_04.jpg
建物との隙間に入口があります。



christian_05.jpg
大きなお地蔵様が並んでいます。
その視線の先には…



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供養塔と思われる石碑。その奥には由来を示した石碑が。

〜石碑より抜粋〜
尾張藩の初代藩主義直、ニ代藩主光友公はキリシタン達に寛大であろうとした。
キリシタン宗門禁制を強調する江戸幕府からの圧力のため寛永八年(1631年)以来
伝道に努めた者達を検挙し処刑し始めた。寛永二十年(1631年)から
正保二年(1645年)からは名古屋城中からもキリシタンが検挙された。
この地で処刑された彼等の霊を弔うため、慶安二年(1649年)
処刑地に石の供養塔を建立した。
寛文元年(1661年)春以来、数多くのキリシタンが尾張北部の諸村から検挙されると、
尾張藩はそのうち伝道に努めたと思われる、男女二百余人だけを寛文四年十二月十九日(1665年2月3日)
この地で斬罪に処し他のキリシタンは赦免しようと努めた。
しかし幕府の了承を得る事ができず、結局検挙された二千人余のキリシタン全員を
寛文七年(1668年)十月に村方で処刑せざるを得なかった。
藩主光友公はこの地に仏寺を建立して彼等の冥福を祈らさせた…



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十字架が彫られた墓石。



christian_08.jpg
あちらこちらに少し崩れてはいますが墓石が立っています。



christian_09.jpg
アップで撮影。



christian_10.jpg
敷地内の一番奥に、お供えを置く石の台座。



christian_11.jpg
こちらの壁に、昔十字架が現れたと云われています。
今もほんのりと見て取れますが見えますでしょうか?



christian_12.jpg
最後に横置きの石碑を撮ってこの地を後に…

多くの信者が処刑された場所と言う事で騒がしい街中の一角なのに、
この敷地内だけは別な世界の様な雰囲気がしました。

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Author:屋敷サカヱ
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