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糸数アブチラガマ(糸数壕)

〜沖縄、忘れられない、20世紀の爪あと〜
沖縄県南城市
【探索日】2006年5月

ー平和の思いを新たにー
字糸数にある自然壕のこと。糸数壕ともいい、
大戦で住民避難、病院等に使用されました。
米軍の生き埋め攻撃などにより、多数の住民死者を
出しました。現在、平和学習の場として
多くの人たちが訪れています。
〜案内チケットより〜


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南部の激戦地に残された壕。整備され施設となった糸数壕には
日本各地から平和学習として多くの学生達が訪れている様です。
激しい雨の降る中、学生集団の合間に中に入る事にしました。
※暗闇学習(無灯火)時を邪魔しない事を条件に撮影の許可を得ました。



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冷たい空気が吹き出す壕の入り口から中に入ります。



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照明は無く文字通り漆黒の闇…



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入口の階段を降りた場所に兵器庫があります。
この先は崩落の危険があり立入禁止。



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ベッドが置かれていた場所。当時の備品がそのまま。



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この壕には600人以上の負傷兵で埋め尽されていたそうです。



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破傷風に感染した患者を隔離した場所。



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外光から閉ざされた壕内には滴る水の音だけがこだましています。



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脳に傷を負った患者を収納したようです。
広間では案内人がたくさんの学生達に当時の様子を語っていました。
学生達はただ黙って話に聞き入っています。



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便所の奥には死体安置所の看板。
当時の生き証人のお話を学生達の後ろで拝聴。
栄養失調などで泣き出す子供を、兵隊が口に手を当て窒息死させた…
苦しい状況の中、住人達は息を殺すしかなかったのです。
もぅこんな地獄は味わいたく無いと。



abuchira_11.jpg
近くには生活に必要な小さな井戸。



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カマドの跡です。



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ただしこれは軍関係者のみが使用していたようで、
地元民は出口近くに追いやられ多数が米軍の被害に遭いました。



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長細い糸数壕にたくさんの病棟。



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通路の下はすべて負傷兵が占拠していました。
その中で、南風原陸軍病院から移動して来た、ひめゆり学徒隊の数十人が
看護にあたっていた様です。



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糸数壕の出口付近。米軍の攻撃時に黄燐弾やガソリンを投げ込まれ
住民の中に多くの死傷者が出ました。



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すぐ近くに住民は押しやられていたのです。



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勝手に壕の外に出ない様、軍の監視所が設けられています。



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立てこもる兵士や住人に対し米軍は土砂で壕ごと生き埋めにしました。
終戦を向かえ、生き残った住人と負傷兵は米軍に収容された。



abuchira_20.jpg
私達は今、自由に表に出る事ができます。



abuchira_21.jpg
外の光がとても懐かし…



abuchira_22.jpg
哀しみに包まれた壕を後にします。
今の平和な時代を再認識させられた場所でした。

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屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
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