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八日市飛行場跡

滋賀県八日市市
【探索日】2005年2月

〜案内看板より〜
この掩体壕は昭和19年(1944年)米軍の日本本土空襲が
激しくなることが必至と見られるにいたり、軍部では飛行機
を空襲から守るために、各航空基地の周辺に急いで作らせた。
この掩体壕は小型機用で八日市市には現在、この他にもう一箇所
残っており、八日市飛行場の語り部として貴重な存在です。
八日市市


youkaichi01.jpg
名神高速道路沿いの細い道を走ると
竹薮の中に巨大な掩体壕が現れます。
ここに辿り着く前に迷った迷った…一時は
泣きながら再起を帰そうと思っていたほど;




youkaichi02.jpg
敷地の手前には案内看板がありました。

〜案内看板より〜
掩体壕は至近弾の破片は防ぎましたが、爆弾の直撃には
耐えられませんでした。一方、上空から隠蔽する目的も
あったので、壕の上部は土で覆い、草木が植えられてました。
応急の道路が作られましたが、地盤の軟弱な箇所では
タイヤがめり込んで大変でした。それで軟弱な所へは栗石を
大量に投入したり、丸太を敷き詰めて急場を凌ぎました。
また、警戒警報が発令されると、総出で飛行機を掩体壕まで
押していき、警報が解除されると再び飛行機を飛行場へ戻す
作業が毎日繰り返されたものでした。
現在、大阪の八尾飛行場の付近に、これとほぼ同規格の
掩体壕が残されています。八日市市




youkaichi03.jpg
中にお邪魔して側面から撮影…




youkaichi04.jpg
風化が進み近付くのも危険な状態。




youkaichi05.jpg
掩体壕の周りにあった防御壁です。




youkaichi06.jpg
雪を掻き分け後ろに廻り込みます。




youkaichi07.jpg
後方から見た掩体壕内部の様子ですが、土砂が
入れられています。外にはキャベツの腐乱屍体が大量に…




youkaichi08.jpg
最後に竹薮から撮影して終了。

「八日市飛行場略歴」
八日市飛行場は1915年(大正4年)民間飛行場として完成した。
しかし、まもなく陸軍に譲渡され、拡張工事が始り
約一六五万平方メートルの飛行場を建設、航空第三大隊が
1922年に開隊した。以後増強されたが、1944年明野飛行
学校分教場として使用された。
1990年代に八日市飛行場、八日市空襲、布引丘陵に残る
飛行機援護施設である掩体壕等の調査がおこなわれ、
2000年〜2001年にかけて掩体12基が確認された。
一号・ニ号掩体はコンクリート製で入口幅約24.5m、
最大幅約28.1m、奥行約22.5m、現況高約5.5m。
東側には修理工場として使用するための長方形の掩体もある。
その他の掩体は土製で広範囲に残されています。
布引丘陵は飛行機だけでなく、修理整備工場等の
疎開場所として本土決戦に向けた準備の様相を示している。
〜しらべる戦争遺跡の事典より抜粋〜

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屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
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