スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

地蔵峠

群馬県松井田町〜倉渕村
【探索日】2003年12月

案内人:「異界への招待状」やっくん様


gizou_01.jpg
すっかり闇に覆われた峠道。行き交う車も全くありません。
外灯もない真っ暗闇…看板でもあればと思い探してる途中です。





gizou_02.jpg
道の脇の小高い場所に石碑とお地蔵様が現れました。
二人で「?」を頭に浮かべて近くまで登ってみます。






gizou_03.jpg
〜石碑文章より〜
殉難碑
勘定奉行小栗忠順(※1)家臣塚本真彦(※2)の母ミツ、
娘チカ(八才)この地に近き谷合に殉難す
両女は慶応四年(1868年)四月六日、権田村における西軍暴挙の
難を避けたるも、七日市藩へ逃れる為地蔵峠を目ざしたるも
山中に道を失い遂に力尽き、同八日この地に近き谷間において
自害せり。遠く悲しき歴史に思いを馳せこの地に祈念碑を建て
永くその霊を悼む。
〜ほととぎす 鳴き来た山や 雨の神〜
昭和五十七年四月 建之
倉渕村小栗上野介顕彰会


(※1)小栗家は代々徳川家に仕え関東に大きな禄高を持つ
名旗本だった。万延元年(1860年)に遣米使節として
10ケ月間かけて世界を一周した。幕府から「帰農願」の
許可を得て、領地の権田村(倉渕村)に移り住み、
家族と共に過ごしていたが、明治新政府により一方的に
処刑された。『偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる』
と云われている。
(※2)塚本真彦は従者として遣米使節に加わったが
小栗上野介とともに烏川河原にて処刑された。

石碑の裏には小さな祠が奉られていた。






gizou_04.jpg
大きいお地蔵様は母、小さい方は娘。
手を合わせこの地を後にしました。

この記事へのコメント

プロフィール

屋敷サカヱ

Author:屋敷サカヱ
「NeoNATS」へようこそ!
‘過去’に探索・サイト公開した物件を公開してます。
5月から月2回の不定期更新になります。
よろしくお願いします(*´∇`)ノ

FC2カウンター
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
FC2掲示板
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。