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茂原市掩体壕

千葉県茂原市
【探索日】2004年7月

ご案内:『噂の現場』sudoh様

航空機を滑走路から誘導路を走らせてきて
壕に納め敵機からの攻撃に備えた壕です。
茂原市内には今も多くの掩体壕が残されています。


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戦争遺跡の資料から茂原市内には数個の掩体壕が
残されているとあったので、立寄って頂くことにしました。
市内を走り回り諦めかけた頃、畑の中に掩体壕を見つけました。




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扉が付けられている所から倉庫として使われているのでしょう。




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畑の畔を慎重に歩いて掩体壕へ近付きます。
大きさからすると戦闘機用のモノと思われます。




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中を拝見…案の定物置きでした。




mobara05.jpg
分厚いコンクリート製なので取り壊されずに
今も残っていたのでしょうね…




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他の掩体壕を探して、さらに走ると
先程とは大きさが違う壕を発見しました。




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こちらは爆撃機用と思われ、かなりの大きさです。




mobara08.jpg
案内看板がありました。

掩体壕(えんたいごう)
昭和十六年(1941年)太平洋戦争が始まる直前の
9月に木崎、谷本、町保、新小、本小内の約150戸と
東郷小学校及び寺社等が強制移転を命じられ、
茂原海軍航空基地(戦略上は海軍二五二航空隊)の
建設が始まった。基地本部跡はいまの萩原小学校、
兵舎跡は茂原中学校であり、三井東圧化学(株)
東側の約1,000m道路は当時の滑走路跡で、
基地の東端はいま東郷保育所の前の通称海軍道路
と呼ばれている辺りである。
この掩体壕は航空機を滑走路から誘導路を走らせてきて
壕に納め、敵機からの攻撃に備えた壕である。
二十数基築造された中では最大の規模で総面積三六五平方メートル
壕の中の面積二八六平方メートル、高さは最大が六m七十cmある。
戦時中で基地造成の人手が不足していたため、当時の
長生中学校や茂原農学校の生徒、周辺の人達等動員して急いで造った。
築造方法は、土砂を壕の形に盛って転圧して筵や
板を並べ、その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流した。
その厚さは30〜50cmと均等ではないようである。
また計算通りのセメントが間に合わず後から付け足したのも
観察できる。50余年経った今日、茂原海軍航空基地を
語る数少ない遺跡である。
平成七年八月十五日 茂原市教育委員会




mobara09.jpg
他にも当時の様子を再現した模型の写真が置かれています。




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中を見てみる事にします。危険に付き立入禁止です;




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厚さは先程のモノと変わらないのですが規模が大きい。




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表面のアップ、砂利が浮き出しています。
当時セメント不足で、砂利の割り合いが多いみたいです。




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一部が剥がれ落ちていて鉄筋がむき出しになっていました。




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中から外を撮影…立入禁止です;




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向いの広場にも先程と同じ戦闘機用の掩体壕がありました。




mobara16.jpg
こちらは少し厚みがないような…




mobara17.jpg
中の様子です…ゴミが捨てられていました。




mobara18.jpg
鉄材も置かれています。




mobara19.jpg
後方よりの風景。
他にまだあるそうですが、時間の関係で
3つ見つけたのみで終了。
戦争という過去の負の遺産として、
残しておいて頂きたいものです。

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