泣 塔
レポ提供:ヴラド魔王様
神奈川県鎌倉市

泣塔を観に行くには大船駅迄行きます。
JR京浜東北線か、東海道本線か、横須賀線を使うのが便利です。
品川からだと片道620円です。
大船駅に到着しましたら湘南モノレールに乗換えます。

激しく揺られながら湘南深沢駅で下車します。
湘南深沢駅迄は210円です。
此処の駅は何故か改札口がありませんでした…
大船からの切符は何処に?
モノレールが来る時しか駅員さんが居ません。
ですから無人駅でもあります。

湘南深沢駅から大船方面に少し歩きますと
JR大船車輌整備工場が見えて来ます。

大船車輌整備工場は広大な工場です。
定期的に工場内が一般に公開されてますねぇ。
御目当の泣塔は大船工場内にはありません。
よくネットや市販のスポット紹介本には
「工場内に在る為に許可が必要」と
書いて有りますが騙され無い様に。

何処にあるかと言いますと…工場入口の隣は
御覧の通りの広大な野原運動場があります。
昔は此処は国鉄清算事業団が直轄する土地でしたが
現在は鎌倉市が管理してます。

運動場の入口は少し歩いた場所にあります。
通る途中に柵の隙間からも入れますが…入口から入りましょう。
運動場の角に木々が生茂る一体が見えます。其処が泣塔がある丘です。

柵沿いを歩いて行きますと、だんだんと小さく泣塔が見えて来ます。

此れが有名な泣塔がある丘です。
不自然に残されたのがよく分かります。

此処が唯一の入口です。南京錠はありませんでした。
勇気を入れて中に入りました。
中に入ったら…そこから心霊スポットです…

先ず見えて来ますのが国鉄が設置した解説掲示板。よく読みましょう。

拡大したモノです。
えらく左右の文字が踊ってる様な…

掲示板の脇に入口があります。定期的に草刈でも有るのでしょうか?
周囲は整備されてます。本で見る入口は雑草が生茂る状態でしたから驚きました。

泣塔に行く迄は険しい階段を登ります。かなり荒く作られてますので
一歩一歩足元を確認しながら、かつ慎重に登って行くのが賢明です。
気軽な気持で登りますと下手すれば怪我をします。
最悪な場合は命を奪われますよぉ…

階段の途中に絶好な撮影ポイントがありました。
本等で紹介されている写真は、恐らくはそのポイントで
撮影したものと思われます。此れが泣塔です。

本名は宝きょう印塔と云われてます。別名陣出の泣塔とも云われてます。
鎌倉時代末期、鎌倉幕府の倒幕を目指す新田義貞軍と、鎌倉幕府軍側の
赤橋守時軍が激突した州崎の戦いが有った古戦場でもあります。
この供養塔は、その州崎の戦いで戦死した死傷者を弔う為に
二十三忌に室町幕府が建立しました。

この泣塔には色々な怖い話が付いてまわりました…
1.塔がある一体の土地を買った者は必ず貧乏に成る。
2.塔を移動させた者や関係者には不慮の怪我や死が来る。
等のとても恐ろしい言伝えがあります。
昭和17年に、日本陸軍が大船軍需工場拡大の為に、
この泣塔がある一体の丘をダイナマイトで破壊する計画を実行しましたが
原因不明の大爆発が起こり多数の死傷者が出ました。陸軍は計画を断念。
泣塔の名前の由来は地元の方の御話だと…
「泣塔は、昔かの都合で御寺や人家の庭に移すと、
…帰りたい…帰りたい…と泣く様な男女の声が聞こえたから」
と伝えられてます。恐らくはこの丘一体は、州崎の戦いで戦死した方の
遺体が埋葬されていると思います。

泣塔は鎌倉市の史跡に指定されてますが…
観光スポットには取り上げられていません。
死者が眠る安息の地ですから。

泣塔の後にはヤグラ(墓の事です。)がありました。
誰のヤグラとは書いてはありませんでしたが…
鎌倉幕府最後の執権、赤橋守時が自害した千代塚なるものが
あったと伝えられて場所が此処ですので、
恐らくは赤橋守時のヤグラと思われます。
泣塔がある一体は、強力な心霊スポットですので…長居は禁物。
撮影が済み次第、退去した方がよいですよぉ。
霊能者の寺尾玲子氏や、魔界探検者で有名な火坂雅志氏も
此処を訪れて霊に遭遇してます。
夕方以降は門は閉じられますが…入れる場所は存在します。
が、夜の訪問は御勧めしません。分かりますね。
訪問する際は成るべく昼間に、、かつ週末が良いです。
来ましたら、先ずは塔とヤグラに手を併せて祈りましょう。
花や御線香や供え物は置かない方が良いです。
以上泣塔レポートでした。
神奈川県鎌倉市

泣塔を観に行くには大船駅迄行きます。
JR京浜東北線か、東海道本線か、横須賀線を使うのが便利です。
品川からだと片道620円です。
大船駅に到着しましたら湘南モノレールに乗換えます。

激しく揺られながら湘南深沢駅で下車します。
湘南深沢駅迄は210円です。
此処の駅は何故か改札口がありませんでした…
大船からの切符は何処に?
モノレールが来る時しか駅員さんが居ません。
ですから無人駅でもあります。

湘南深沢駅から大船方面に少し歩きますと
JR大船車輌整備工場が見えて来ます。

大船車輌整備工場は広大な工場です。
定期的に工場内が一般に公開されてますねぇ。
御目当の泣塔は大船工場内にはありません。
よくネットや市販のスポット紹介本には
「工場内に在る為に許可が必要」と
書いて有りますが騙され無い様に。

何処にあるかと言いますと…工場入口の隣は
御覧の通りの広大な野原運動場があります。
昔は此処は国鉄清算事業団が直轄する土地でしたが
現在は鎌倉市が管理してます。

運動場の入口は少し歩いた場所にあります。
通る途中に柵の隙間からも入れますが…入口から入りましょう。
運動場の角に木々が生茂る一体が見えます。其処が泣塔がある丘です。

柵沿いを歩いて行きますと、だんだんと小さく泣塔が見えて来ます。

此れが有名な泣塔がある丘です。
不自然に残されたのがよく分かります。

此処が唯一の入口です。南京錠はありませんでした。
勇気を入れて中に入りました。
中に入ったら…そこから心霊スポットです…

先ず見えて来ますのが国鉄が設置した解説掲示板。よく読みましょう。

拡大したモノです。
えらく左右の文字が踊ってる様な…

掲示板の脇に入口があります。定期的に草刈でも有るのでしょうか?
周囲は整備されてます。本で見る入口は雑草が生茂る状態でしたから驚きました。

泣塔に行く迄は険しい階段を登ります。かなり荒く作られてますので
一歩一歩足元を確認しながら、かつ慎重に登って行くのが賢明です。
気軽な気持で登りますと下手すれば怪我をします。
最悪な場合は命を奪われますよぉ…

階段の途中に絶好な撮影ポイントがありました。
本等で紹介されている写真は、恐らくはそのポイントで
撮影したものと思われます。此れが泣塔です。

本名は宝きょう印塔と云われてます。別名陣出の泣塔とも云われてます。
鎌倉時代末期、鎌倉幕府の倒幕を目指す新田義貞軍と、鎌倉幕府軍側の
赤橋守時軍が激突した州崎の戦いが有った古戦場でもあります。
この供養塔は、その州崎の戦いで戦死した死傷者を弔う為に
二十三忌に室町幕府が建立しました。

この泣塔には色々な怖い話が付いてまわりました…
1.塔がある一体の土地を買った者は必ず貧乏に成る。
2.塔を移動させた者や関係者には不慮の怪我や死が来る。
等のとても恐ろしい言伝えがあります。
昭和17年に、日本陸軍が大船軍需工場拡大の為に、
この泣塔がある一体の丘をダイナマイトで破壊する計画を実行しましたが
原因不明の大爆発が起こり多数の死傷者が出ました。陸軍は計画を断念。
泣塔の名前の由来は地元の方の御話だと…
「泣塔は、昔かの都合で御寺や人家の庭に移すと、
…帰りたい…帰りたい…と泣く様な男女の声が聞こえたから」
と伝えられてます。恐らくはこの丘一体は、州崎の戦いで戦死した方の
遺体が埋葬されていると思います。

泣塔は鎌倉市の史跡に指定されてますが…
観光スポットには取り上げられていません。
死者が眠る安息の地ですから。

泣塔の後にはヤグラ(墓の事です。)がありました。
誰のヤグラとは書いてはありませんでしたが…
鎌倉幕府最後の執権、赤橋守時が自害した千代塚なるものが
あったと伝えられて場所が此処ですので、
恐らくは赤橋守時のヤグラと思われます。
泣塔がある一体は、強力な心霊スポットですので…長居は禁物。
撮影が済み次第、退去した方がよいですよぉ。
霊能者の寺尾玲子氏や、魔界探検者で有名な火坂雅志氏も
此処を訪れて霊に遭遇してます。
夕方以降は門は閉じられますが…入れる場所は存在します。
が、夜の訪問は御勧めしません。分かりますね。
訪問する際は成るべく昼間に、、かつ週末が良いです。
来ましたら、先ずは塔とヤグラに手を併せて祈りましょう。
花や御線香や供え物は置かない方が良いです。
以上泣塔レポートでした。
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