峰之沢鉱山跡
西部地区
【探索日】2004年4月
合同探索:itou様、みっと様
静岡県西部を流れる天竜川のほとりに
銅を産出した鉱山が2つあった。その一つ峰之沢鉱山。
最盛期鉱山関係者は1万人を越えていたが、
昭和44年(1969年)閉山。
今は、秋葉湖に積み出し用の施設跡が残されている。

まずは秋葉湖に残されている積み出し用施設跡。
その昔、天竜川を帆掛け舟で鉱石を運搬していた時期もあったそうです。

山を登ること数分。稜線に見覚えのある建物2棟!!
車の中は歓喜の声♪ついに辿り着いた社宅跡。

道沿いには階段も残されています。
車をとめて早速探索開始。。

階段途中から…右が1号棟のようですが、
道は獣道に変わり2号棟へ向かっている様です。

さらに近付いて…その異様なまでの姿に、
一同足を止めてしまいます。

草をかき分けやっと付いた2号棟の1階部分。
電気メーターには当時住んでいた方の名前が残っています。

1階の部屋を訪問。重い鉄のドアを開けると
このようになっています。畳は腐りふすまもボロボロ…

足の踏み場がないくらいに散乱しています。

台所に残されていた瓶に謎の液体が…

2階の部屋も訪問します。。
こちらも荒れています。誰かが侵入して散らかしたのか
自然の力なのか?

もう何がなんでか…枯れ草も混じっています。

トイレ拝見!水洗トイレだったようです。
当時としては進んでいたのでしょう…

台所奥にはゴミを投げ込むシューターが備えられています。

3階のドアを開けると…靴がそのまま(汗)

カレンダーが畳の上に残っています。
1969年…閉山時のまま時が止まっている。

開かれた窓からは植物が侵入しようとしている。
この風景もあと何ヶ月で見れなくなるのか…

最後の部屋の様子。

階段を登りきり屋上へ出ました。

屋上から見た天竜川の眺望。
とっても景色がよいです!さて外に出ましょう。

2号棟ベランダ側…奥の部屋へは草が元気よく生い茂り過ぎて
現状の装備では侵入は不可能…次回には!!の思いはものの見事に
破れ去りました。これがベランダの最後の勇姿。。

1号棟への道もあったのですが今回は断念しました。
…今思えば、無理をしてでも侵入しておけばよかった。

山へ登る途中にある選別場跡。
製材所で第二の人生を歩んでいます。

コンクリートと石垣の構造物。
屋根の付いた部分には穴があいています。

砂利置き場となっている場所も…

選別場脇に…いかにも「登って来〜い!!」と誘っている石段が(汗)
お呼びとあれば…登ってみました。。

選別場の上に伸びていた道は坑口へ導いてくれました。
一つ目の坑口…奥から怪し気な蛙の鳴き声(滝汗)

二つ目の坑口…奥は塞がれています。

三つ目、壁には緑青がこびりついていました。

四つ目の土管型の坑口。

五つ目で最後の坑口。泥が溜まっています。。
全ての坑口は途中でコンクリートにより
塞がれていて中を探索する事はできませんでした。

最後に穴付き屋根からの眺望。だれ?テトリスとか言った人は。
緑の中にひっそりと佇んでいる社宅跡。
ニ度目の探索時には工事用の柵が設けられ
1号棟と2号棟の間に土砂を流し込む準備がされていました。
年内中には埋められてしまう運命にあるようです。
【探索日】2004年4月
合同探索:itou様、みっと様
静岡県西部を流れる天竜川のほとりに
銅を産出した鉱山が2つあった。その一つ峰之沢鉱山。
最盛期鉱山関係者は1万人を越えていたが、
昭和44年(1969年)閉山。
今は、秋葉湖に積み出し用の施設跡が残されている。

まずは秋葉湖に残されている積み出し用施設跡。
その昔、天竜川を帆掛け舟で鉱石を運搬していた時期もあったそうです。

山を登ること数分。稜線に見覚えのある建物2棟!!
車の中は歓喜の声♪ついに辿り着いた社宅跡。

道沿いには階段も残されています。
車をとめて早速探索開始。。

階段途中から…右が1号棟のようですが、
道は獣道に変わり2号棟へ向かっている様です。

さらに近付いて…その異様なまでの姿に、
一同足を止めてしまいます。

草をかき分けやっと付いた2号棟の1階部分。
電気メーターには当時住んでいた方の名前が残っています。

1階の部屋を訪問。重い鉄のドアを開けると
このようになっています。畳は腐りふすまもボロボロ…

足の踏み場がないくらいに散乱しています。

台所に残されていた瓶に謎の液体が…

2階の部屋も訪問します。。
こちらも荒れています。誰かが侵入して散らかしたのか
自然の力なのか?

もう何がなんでか…枯れ草も混じっています。

トイレ拝見!水洗トイレだったようです。
当時としては進んでいたのでしょう…

台所奥にはゴミを投げ込むシューターが備えられています。

3階のドアを開けると…靴がそのまま(汗)

カレンダーが畳の上に残っています。
1969年…閉山時のまま時が止まっている。

開かれた窓からは植物が侵入しようとしている。
この風景もあと何ヶ月で見れなくなるのか…

最後の部屋の様子。

階段を登りきり屋上へ出ました。

屋上から見た天竜川の眺望。
とっても景色がよいです!さて外に出ましょう。

2号棟ベランダ側…奥の部屋へは草が元気よく生い茂り過ぎて
現状の装備では侵入は不可能…次回には!!の思いはものの見事に
破れ去りました。これがベランダの最後の勇姿。。

1号棟への道もあったのですが今回は断念しました。
…今思えば、無理をしてでも侵入しておけばよかった。

山へ登る途中にある選別場跡。
製材所で第二の人生を歩んでいます。

コンクリートと石垣の構造物。
屋根の付いた部分には穴があいています。

砂利置き場となっている場所も…

選別場脇に…いかにも「登って来〜い!!」と誘っている石段が(汗)
お呼びとあれば…登ってみました。。

選別場の上に伸びていた道は坑口へ導いてくれました。
一つ目の坑口…奥から怪し気な蛙の鳴き声(滝汗)

二つ目の坑口…奥は塞がれています。

三つ目、壁には緑青がこびりついていました。

四つ目の土管型の坑口。

五つ目で最後の坑口。泥が溜まっています。。
全ての坑口は途中でコンクリートにより
塞がれていて中を探索する事はできませんでした。

最後に穴付き屋根からの眺望。だれ?テトリスとか言った人は。
緑の中にひっそりと佇んでいる社宅跡。
ニ度目の探索時には工事用の柵が設けられ
1号棟と2号棟の間に土砂を流し込む準備がされていました。
年内中には埋められてしまう運命にあるようです。
この記事へのコメント
横山昭治さま
当サイトにお越しいただき誠にありがとうございます。
当時住まわれていた貴重な書き込みもありがとうございます。
私共も訪れてから11年が経ってしまい
写真に写っている建物の面影もなくなってしまったようです。
当サイトにお越しいただき誠にありがとうございます。
当時住まわれていた貴重な書き込みもありがとうございます。
私共も訪れてから11年が経ってしまい
写真に写っている建物の面影もなくなってしまったようです。
初めまして、小学生の頃、昭和40年代でしたが、鉱山の近くに祖母が、住んでおり時々泊まりに行きました。
子供ながらこんな山の中にマンションや、その下に鉄筋の小学校
があり凄いと思ってました。
数年前にマンション近くのお墓参りに行きました。
最近静岡新聞に掲載されて懐かしく思います
ありがとうございました。
子供ながらこんな山の中にマンションや、その下に鉄筋の小学校
があり凄いと思ってました。
数年前にマンション近くのお墓参りに行きました。
最近静岡新聞に掲載されて懐かしく思います
ありがとうございました。
かんたろう様 初めまして。
この地にゆかりの方に見ていただき
コメントも頂きまして誠に恐縮しております。
私達も山の上の建物群を見て驚き感動もしました。
先週の静岡新聞の記事見ました。
今はあのような状態になっていたんですね。
これからも更新してゆきますので
よろしくお願い致します。
この地にゆかりの方に見ていただき
コメントも頂きまして誠に恐縮しております。
私達も山の上の建物群を見て驚き感動もしました。
先週の静岡新聞の記事見ました。
今はあのような状態になっていたんですね。
これからも更新してゆきますので
よろしくお願い致します。
懐かしく - 横山昭治 - 2015年05月17日 09:04:04